ひとり出版社を立ち上げた著者が慈しみ、忘れられない本とは(レビュー)
著者の島田氏は2009年、東京・吉祥寺に出版社「夏葉社」を起業し、「何度も、読み返される本を。」をスローガンに丁寧な本作りを続けてきた。本書はそんな彼が半生の時々の記憶の断片を、様々な「本」との思い出とともに綴る散文集である。 文学の世界に出会った子供の頃のこと、音楽と文学に浸りながら、小説を書き始めた青年時代、そして、子育てをしながら出版社を経営する「いま」の自分……。「本」というものは、ままならない人生を力強く支えてくれはしないかもしれない。だが、道に迷ったときや、漠然とした将来の不安を前に身動きが取れなくなったとき、あるいは人生の喜びを感じた瞬間に、著者の傍らにはいつも本があった。 本書を読んでいて何より胸に沁みるのは、そんな「本」の存在を見つめる島田氏の眼差しだ。 熱中して繰り返し読んだ本も、何度も手に取ったが読めなかった本も、ただ買っただけの本も、著者はその一冊一冊を一様に慈しんでいる。いつか読まれることを待つ本たちの群れ――それが自身の「未来」を確かに作り出していくのだと信じる心のあり方が、静かな筆致で綴られていくのである。 〈本を読むことで、希望を得たというのではない。ぼくは五〇歳近くになったいまでも、そういう経験をほとんどしてこなかったし、一冊の本を読むことで救われたという経験もしていない〉 でも――と著者は書く。〈ぼくは学校の帰りや仕事の帰り、本屋や図書館で本を眺め、本を実際に買い、本を読んだあとの自分を想像することで、未来にたいするぼんやりとした広がりを得た〉。 長編小説を初めて読めるようになったときの気持ちや、本の言葉や「文体」が胸に届いた瞬間が、心地よく後景へと退いていく。著者の小さく語る声が、それ故に確かな余韻となって残る一冊だった。 [レビュアー]稲泉連(ノンフィクションライター) 協力:新潮社 新潮社 週刊新潮 Book Bang編集部 新潮社
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