アタマの良い人が必ず実践している、「何が重要な情報か」を見極めるための「究極の方法」
先行きが見えない「答えのない時代」を生きる私たちにとって、「自分の頭で考える力」は必須です。でも、何をどのように考えれば良いのか、どのように勉強すれば良いのか、具体的な方法がわからない人も多いでしょう。 【写真】アタマの良い人が必ず実践している、「何が重要な情報か」を見極める方法 気鋭の哲学者・山野弘樹氏が、自分の頭で考えて学びを深めるための方法=「独学の思考法」をわかりやすく解説します。 ※本記事は山野弘樹『独学の思考法』(講談社現代新書)から抜粋・編集したものです。
何が重要な情報なのか?
論理的な思考を展開するために、私たちは何から始めれば良いのでしょうか? 意外にも、その答えは「まず自分の頭で考える」ではありません。いきなり自分の考えだけで走り出してしまっても、それは独断的・独善的な思考に陥るだけだからです。 論証を行う際にまず必要なのは、「他者の話に耳を傾けること」です。論証のプロセスの最初の段階で、私たちは「今、世の中ではどのようなことが言われているのか?」という情報(データ)をしっかり収集しなければなりません。 論証するということは、「あなたの意見の根拠は何なの?」という質問に漏れなく答えていくということを意味します。こうした根拠は、自分の頭で勝手に作り出せるものではありません。 根拠を問われたならば、私たちはまず、例えば「この分野の権威の研究者が昨年こうした論文を発表していて~」とか、「1990年代に収集されたこのデータによりますと~」といったように、すでに社会的に蓄積された信頼できる情報を相手に提示しなければならないのです。 もちろん、様々な情報を網羅的に収集し、それをすべて根拠として提示すれば良いというわけではありません。思い切って単純化して述べてしまいますが、物事は、重要な情報とそうでない情報の2つに分かれています。 ここで大切なのは、「何が重要な情報なのか?」ということを見極めることです。 今、インターネットには信じられないほど不確かな情報が溢れています。無責任に発信されるブログやSNSでの投稿はその最たるものです。多種多様な情報が氾濫はん らんする中で、情報の質や重要性を節目に応じて分けていく力──それこそが、私たちがこれから訓練しなければならない分節力なのです。 ここで問題なのは、「どうすれば私たちは(情報の質や重要性を見極めるための)分節力を訓練することができるのか?」ということです。そこで私が提案するのが、「教養書を思考のトレーニング場として活用する」という方法です。教養書こそが、私たちの分節力を鍛えるための最高の訓練場になるのです。 なぜ本かと言うと、現実の人間とは異なり、本はいつまでも私たちの訓練に付き合ってくれるからです。そして教養書は多くの場合、実際にアーギュメントを構成するための最良のモデルケースを提供してくれます(この点において、断片的な口頭の会話では不十分です)。 さらに、本は話し言葉と違って印字されているので、書かれている内容を一気にパラパラと見通すことができます(動画で人の音声を聴く場合だとそうはいきません)。こうした3つの理由から、教養書は、私たちが分節力を鍛える際の最高のコーチになりうる存在なのです。 本書においても、教養書を活用して分節力を鍛えていく方法を解説していきます。皆さまも、本書を読みながらもう1冊別の本を用意して、本書の訓練法を実際に活用してみてください。なお、その際には、哲学者が書いた平易なエッセイ(例:ショーペンハウアー『読書について』)や、高名な学者が書いた新書(例:E・H・カー『歴史とは何か』岩波新書)を用いることをお勧めします。ある程度ハイレベルな文章を読まなければ、訓練の効果も薄くなってしまうからです。