「終活なんて全く考えていない」黒柳徹子が「老い本」を絶対に書かない理由
「書かない」ことがメッセージ
この本を読み終えた私は、「“老い本を書かない人”は、やはり違う!」と感銘を深くした。本のあとがきはたいてい、周囲への感謝の言葉で終始しがちである。『窓ぎわのトットちゃん』のように人生を振り返るような本の場合はなおさら、その傾向が強い。 対して黒柳徹子は、百歳まで『徹子の部屋』を続けることができた時に親や周囲の人に感謝をすることを心待ちにしているということで、感謝を将来のお楽しみにしている。母の黒柳朝(ちょう)も95歳まで生きた長寿の家系ということもあるのか、百歳まで生き、その時まで『徹子の部屋』を続けることを、ほぼ確実視しているのだ。 90歳時点でのYahoo!ニュースでのインタビューでは、 「この先も、よいご縁があれば、誰かと結婚するかもしれないとずっと思っています」 「最近はみなさん“終活”とおっしゃいますけど、私は全く考えていない」 「今の仕事をこのまま続けていったほうがいいのか、もしくは、今とはかけ離れた世界に入ってみるのも面白いのか……」 と、黒柳徹子は語っていた。90代ともなれば、人生の着地準備に入る人が大多数だというのに、彼女は未来のことだけを考えて生きている。 終活など全く考えていない、という徹子の話に、私は母である黒柳朝の著書『チョッちゃんだってやるわ』(1985年)の中にある文章を思い出した。夫を見送った後、74歳でチョッちゃんはこの本を出したのだが、彼女は「老後の設計はどう考えていらっしゃいますか?」などと聞かれるとゾッとしてしまうのだそうで、なぜなら、 「そんなことぜんぜん何も考えていないからです」 とのこと。 ずっと専業主婦だった朝は、1981年(昭和56)に娘が出した『窓ぎわのトットちゃん』の大ヒットにより、1982年(昭和57)に初の著書『チョッちゃんが行くわよ』を刊行。同書は朝ドラの原作となる。その後も95歳で亡くなるまで、朝は『バァバよ大志をいだけ』(1986年)といった老い本を含め、多くの本を書いた。 『続 窓ぎわのトットちゃん』を読んでも、戦争中に発揮した朝の発想力と行動力には、目を見張る。「終活なんて全く考えていない」という徹子の感覚も、母譲りなのだろう。 朝の場合は、70代から執筆の仕事を始めたこともあって、デビュー以降、多くの老い本を書いた。しかし娘の徹子はきっとこれからも、老い本を執筆しないことだろう。彼女は何歳になっても限界を定めずに、未来だけを見続けるに違いない。老い本を書かないでいることが黒柳徹子にとっては長寿の秘訣であり、また世の高齢者に対する最も強いメッセージとなっているのだ。 * 酒井順子『老いを読む 老いを書く』(講談社現代新書)は、「老後資金」「定年クライシス」「人生百年」「一人暮らし」「移住」などさまざまな角度から、老後の不安や欲望を詰め込んだ「老い本」を鮮やかに読み解いていきます。 先人・達人は老境をいかに乗り切ったか?
酒井 順子