週休2日、子育てしながら月商300万円…寝袋を持って修行→24歳で独立したラーメン店夫婦のしたたかな戦略
■大学入学から1カ月で「ラーメン屋で働いてみたい」 京王線柴崎駅北口から徒歩4分。甲州街道沿いに手打ち麺が人気の行列店がある。「手打麺祭 かめ囲」だ。 【写真】食べログ3.84点の「特製手打中華蕎麦 醤油」 2022年6月にオープン。「食べログ」では3.84点を誇り、2022、2023年と2年連続で「百名店」にも選ばれている(2024年11月10日現在)。店主の亀井康太さんと妻の朱蘭さんで切り盛りしている。 店主の康太さんは高校2年生の頃からラーメンの食べ歩きをしていた。 高校では陸上部に所属していて、横浜で試合の帰りに食べた油そばに衝撃を受け、各地の油そばを食べ歩き始めた。その後、ラーメンにもハマって食べ歩きするようになった。 高校3年の頃には、大学に進むかラーメン屋になるか迷うほどラーメンに夢中だったが、とりあえずは受験をして大学に行くことになった。 いざ大学に行くも入学して1カ月で「ラーメン屋で働いてみたい」と親に相談した。 さすがに止められて家族会議になるほどだったが、亀井さんは今まで食べ歩いた中で一番美味しかった「煮干しつけ麺 宮元」(大田区蒲田)に修行に行くことにした。 ■平日は授業、金土は店の2階で寝袋生活 「『宮元』の濃厚なつけ麺に衝撃を受けました。食べ終えてから住んでいた小田原までの帰り道、ゲップをするとそのゲップまで旨かったんです。高校時代からよく通っていたので、店主の宮元さんは顔を覚えていてくれました。何をやっても成功しそうなオーラに包まれた宮元さんにいつも元気をもらっていました。 将来ラーメン屋をやりたいと伝え、独立前提で『宮元』に入れていただきました」(康太さん) こうして大学1年の5月から「宮元」での修行が始まった。 平日は授業があるのでシフトを入れず、金曜の授業が終わった後に入って土日も働くという日々だった。金曜日、土曜日は店の2階に泊まらせてもらい、寝袋で寝るという生活だった。夏休みは缶詰めで働き、アルバイトという名の修行生活だった。 2年間アルバイトをした後に、親を説得して1年休学して正社員になり、そのまま大学を辞めて計6年間「宮元」で修行をした。 最初の2年で仕込みなどはすべて学ぶことができ、その後限定で自分のラーメンを作るなどして4年間を過ごしてきた。いよいよ22歳の頃に「独立したい」と伝えるも「まだ全然だろ」と言われ、悔しい思いをした。 その後も技術や自分の味を磨きつつ、1年後にもう一度相談するとOKが出て、そこからの1年間はお店の営業していない時間を利用して間借りで「手打中華蕎麦 亀庵」を営業し、独立に向けた最後の勉強をした。