キリストの傷痕、見方によっては…美術史家が指摘する「意味深」なウラ解釈とは?
たとえば、《悲しみの人と傷》(5-1、14世紀末、ニューヨーク、モルガン・ライブラリー)では、両手を胸元で十字に組んで石棺から上半身を出したイエス―「悲しみの人(イマーゴ・ピエターティス)」―と並べて、その傷が配されている。 通常「悲しみの人」の図像では、斜めないし真横に刻まれた胸元の傷が描かれるのだが、この写本細密画では、キリスト本人は両手の傷だけをみせていて、胸元の傷は左の図によって強調されているのである。 また、5つの傷とも同じ外陰部状のかたちをした細密画の例(『ロフティー時祷書』、15世紀半ば、ボルチモア、ウォルターズ美術館)も伝わっている。 槍に刺された胸元の傷ならいざ知らず、他の4つは、釘に打たれて両手と両足にできたとされるから、円くえぐられた傷口だったと想像されるのだが、そんなことにはおかまいなく、同じ形状で大きさだけ変えて、ちょうどそれぞれの傷に対応する位置に並べられているのである。 どの傷口からも、これでもかとばかり真っ赤な血のしずくが滴り落ちている。その様は、絵筆で描かれたというよりも、まさしく絵の具を垂れ流した結果であるようにすらみえる。それはどこか、戦後アメリカの抽象表現主義の画家ジャクソン・ポロックのドリッピング絵画さえ連想させるといえば、牽強付会に聞こえるだろうか。
外陰部状の傷口のなかに、心臓が埋め込まれていて、その心臓の表面にさらに5つの傷が刻まれているような作例(15世紀、オックスフォード、ボドリアン図書館)もある。 大きな傷口の表現は、その色彩といい形状といい、これまでのものよりいっそうストレートで生々しい。心臓のなかで、この胸元の傷がもういちど入れ子状にくりかえされ、さらに両手と両足の円い傷跡も刻印されていて、それらのいずれからも、やはり血が滴っている。 この心臓は、キリストのものでもあれば、こうした絵を見ていた信者たちのものであるだろう。ハートは文字どおり、キリストとの愛の象徴である。その愛はもちろん、アガペーとしての愛にちがいなかろうが、こうした図像が証言しているのは、エロスとしての愛ともまた矛盾するわけではない、ということである。 ● キリストの傷口へのくちづけで 民衆は罪の赦しを願った スピリチュアルなものとセクシャルなものとは、必ずしも互いに排除し合うわけではない。むしろ相性がいいとさえいえるのではないだろうか。 ウォルターズ美術館にはまた、布に刻印された傷を2人の天使がかざしている珍しい細密画(15世紀半ば)も所蔵されている。 ここでもやはり傷はまっすぐ縦に置かれ、そこからは血が滲みだしている。まるで貴重な聖遺物でもあるかのように、天使がこの布をうやうやしく掲げている。