キリストの傷痕、見方によっては…美術史家が指摘する「意味深」なウラ解釈とは?
聖痕。それはイエス・キリストが磔刑になった際についたとされる傷のことを意味する。様々な画家によって聖痕の解釈は異なるが、実は聖痕を女性器と見立てた図が中世には多く描かれている。何故画家たちは聖痕を女性器と見立てたのだろうか?西洋美術史家・岡田温司氏がその謎に挑む。※本稿は、岡田温司『キリストと性:西洋美術の想像力と多様性』(岩波書店)の一部を抜粋・編集したものです。 【この記事の画像を見る】 ● キリストの傷が女性器に見える? 中世西洋のキリスト像の裏解釈 意外に思われるかもしれないが、中世の西洋では、キリストの傷を女性器に見立てたような図像がくりかえし描かれている。なかでも14世紀から15世紀に制作された時祷書と呼ばれる装飾写本のなかにかなり頻繁に登場する。時祷書とは、修道院での実践を模範としつつ、とりわけ一般信者に向けた祈りの手引き書となったものである。 たとえば、『ボンヌ・ド・リュクサンブールの時祷書』のなかの図像(1345-49年、ニューヨーク、メトロポリタン美術館)を見てみよう。 まず何よりもわたしたちの目を引くのは、真ん中に大きく描かれたアーモンド状の傷口である。周辺から中央に向かって徐々にオレンジ色から深紅に変わり、さらに中心部は濃いあずき色になっている。このような色彩の巧みなグラデーションは、あたかも子宮のなかへと見る者を引き込むかのような効果をもっている。 また、あえて垂直に置かれているのも意味深長である。十字架上で槍に突き刺されてできた傷口だとすると、おそらくこのように縦にまっすぐにはならないだろう。実際、磔刑図などにおいては伝統的に、胸元にやや斜めに刻まれている姿で描かれてきた。
この形状はまた同時に、キリストやマリアを囲む光輪――アーモンド型から「マンドルラ」と呼ばれる――を連想させるものでもある。聖なるものは性的なものへの連想を排除するわけではないのだ。 とはいえ、この細密画が表わしているのは、たしかにキリストの傷口である。その証拠に、両脇には、十字架や槍や茨の冠、(両手と両足に打ち付けられた)釘や(そこに縛られて鞭打ちにされた)円柱などが描かれているのである。これらキリストを苦しめた道具の数々を並べた図像は、文字どおり「アルマ・クリスティ(キリストの受難具)」と呼ばれ、やはり同じ時期に大流行したものである。 聖職者や修道者のみならず、平信徒もまた、こうした図像を見ることによって、キリストの受難に思いを馳せ、想像のなかで受難を追体験していたのである。ちなみに、この豪華な時祷書の発注者にして所有者とされるボンヌ・ド・リュクサンブールは、ボヘミア王の娘として生まれ、神聖ローマ皇帝を弟にもち、フランス王のもとに嫁いだやんごとなき貴婦人である。 ● キリストの「縦長の傷」を これでもかと強調する画家たち このように性的な暗示のある傷の表現には、多彩なヴァリエーションが存在している。そのいくつかをここで見ておくことにしよう。