日本フライ級王座戦で衝撃的結末…ユーリ阿久井が最終回残り11秒で井上尚弥の後輩ホープを壮絶“失神”TKOで防衛成功
ユーリの父の阿久井一彦氏(57)は、倉敷守安ジム(当時守安ジム)のプロ第1号で、日本スーパーフライ級2位までいった。戦績は30戦13勝(3KO)15敗2分で、母の弟が元世界王者の飯田覚士氏や山口圭司氏と対戦経験のある赤沢貴之氏(49)というボクシング一家に生まれた。父は2001年に37歳で引退したが、そのラストマッチを当時5歳になるユーリはリングサイドで見ている。その記憶がインスパイアされ、のちにボクシングを始めるきっかけのひとつにもなったという。 2017年8月に現WBO世界フライ級王者の中谷潤人と初代日本ユース・フライ級王座決定トーナメントの決勝を争い6回TKOで敗れた試合が転機になった。 プロ転向後、全日本新人王を獲得するなど破竹の12連勝をしていたが、岡山を出ず、当然、スパーリングパートナーがいないため、サウスポー対策もろくすっぽにできないまま「それでも勝てる」とたかをくくってリングに上がり敗れた。 「井の中の蛙じゃ勝てんよ」 守安会長の助言もあり、そこから試合前に東京や大阪に1、2週間ずつ程度の出稽古を行うようになった。 「あれからコツコツと出稽古とか試合をこなしてチャンピオンにもなった。あの試合から変わったと思う」 今回も東京の三迫ジムで1週間、神戸の真正ジムで1週間の合宿を張った。WBC世界ライトフライ級王者の寺地拳四朗や、メキシコからの逆輸入ボクサーで、ユースタイトル戦で大橋ジムのホープと引き分けた花田歩夢らとスパーリングを積んできた。 「悔いのないようにという意識で練習している」 ユーリ自身は、「岡山はあまり関係ないかな」と言うが、「誰もいない。一人でやっている」という地方ジムのハンデを力に変えるメンタルが、豪快で逞しいユーリのボクシングの根底にある。 さてユーリのこの先の話である。 守安会長は、「チャンピオンカーニバルが終わってから考えたい」と、悲願の世界挑戦は、もう一度、日本タイトルの指名試合を消化してからと慎重な姿勢を明らかにした。 ユーリ自身も、「これでステップアップはできたと思う。次は世界? いや今日は厳しかった」とGOサインを出さなかった。さぞ、中谷とのリベンジマッチを熱望しているとおもいきや「まだ遠い」とも言う。まだ左のリードパンチやコンビネーションが少ないなど課題も多い。その向上心や、良しである。 最後に。 ボクシングマニア以外の読者の方に説明しておかねばならないが「ユーリ」はリングネームである。旧ソ連からの逆輸入ボクサーでWBC世界フライ級王座を9度防衛した勇利(ユーリ)アルバチャコフ氏の名にあやかったもの。守安会長が、「本人がユーリを好きやと言うし、背格好も顔つきも似とるから」と、プロ転向時に“ユーリ”というリングネームをつけた。勇利が所属した協栄ジムの金平桂一郎会長に連絡をとり、「もうロシアに帰っているしいいでしょう」との許可をもらっての命名である。 ユーリは「デビュー当時は嫌だった」というが、「今では愛着がある」。もちろん本人に逢ったこともなく、「こんなことを言ったら本家に失礼」と笑う。 当時、敵がみつからないほど強かった勇利も武器は、そのしびれるような右ストレートだった。 ベテランのボクシングライターから「最後の右は勇利のそれに似ていたね」と言われると「似ていますか? 嬉しいですね。僕ユーリが好きなんで」と、ニカっと笑った。 ちなみに勇利ばりの必殺の右ストレートの極意は「スピードや握りや当てることを意識せずに打つこと」だそうである。 (文責・本郷陽一/論スポ、スポーツタイムズ通信社)