「いったい、どのような入試が望ましいのか」中学受験、議論を呼ぶ問題の難化スパイラル #こどもをまもる
坂口さんの塾通いは2年、長男は3年。必要とされた勉強は、小3の2月から3年間を費やさなければ消化できない量だったという。 「とくに理科と社会です。重箱の隅をつつくような、細かい知識を求められていました。変わらないと思えたのは国語ぐらいです。小学生が勉強すること自体は、美しいことと思っています。でも、細かすぎる知識を詰め込む必要はないかなと。英語を勉強したほうがよほど日本に資すると思うんですよね」
100年経っても変わらないペーパーテスト信仰
教育の歴史社会学を研究する京都大学大学院教授の石岡学さんは「中受に限らず、入試にはペーパーテストが最も公平で客観的という信仰があるんです」と話す。 入学試験は相対評価であり、「ここまで勉強すればOK」という上限がない。これが受験の弊害とされ、議論が繰り返されてきた。大正時代にも受験が過熱し、社会問題になった。筆記試験に代えて抽選制などを導入する案もあったが、それも消え、結局、100年以上が過ぎた今もペーパー中心は変わらない。 「選抜のあり方自体を変えなければ、どんなに中身の問題を変えても本質は変わらないと思います。中受の過熱ぶりは、入学したという“手形”さえ持てば、子どもの人生が安泰だと考える保護者の気持ちの表れかもしれません」
教育ジャーナリストのおおたとしまささんは、入試問題の難化を「知恵の輪」に例える。学校が新しい知恵の輪を開発すると、塾がその攻略法を見いだし、攻略本通りに数をこなした子どもが合格する。さらに学校は難しい知恵の輪を開発する。この繰り返し、というわけだ。 「塾が教育者として本当に子どものことを思うのなら、入試に必要な基礎をしっかり教え、後の応用は『自力で解けるように頑張れよ』と見守るぐらいのスタンスでいてほしいですね」 保護者の心構えにも問題があるという。おおたさんが、とくに懸念するのがSNSの「中受アカウント」だ。主に保護者が運用し、フォロワーが数千人を超える人気アカウントもある。勉強法や塾や学校の情報、子どものテストの成績、多くの情報が飛び交う。時として親の不安を増大させ、パニックの様相を呈する。 「『誰か』とわが子を比べて焦り、大事なことを見失ってしまう場合があります。タイムラインではなく、目の前の子どもを見ましょうよ、と言いたいです。ただ、私学の個性的な出題は変えるべきではありません」