70歳母の安楽死をきっかけに仏門へ スイス出身の古刹・高雲寺住職 ジェシー釈萌海さん 一聞百見
空手がきっかけで、はるか9500キロ離れたスイスから日本へ。留学生として日本語を学ぶ傍ら、居合道、尺八と日本文化を体得した後に僧侶となったジェシー釈萌海さん(45)。来日して今年で20年。8月末には真宗大谷派で初の外国籍の住職として、福井県敦賀市にある寺院に着任したばかりだ。仏門に入った背景には、安楽死を選んだ母の死が。自らの苦しみや葛藤を経てもたらされた縁をかみしめている。 【写真】尺八を演奏するジェシー釈萌海さん。来日後に学び、師範の免状を持つほどの腕前だ 「こんにちは」。黒の法衣(ほうえ)に輪袈裟(わげさ)を着けて待ち合わせた東本願寺門前(京都市下京区)に現れた。金髪に青い目と面差しは外国人だが、凜(りん)とした僧侶としての落ち着きを感じさせる。「モデルが悪いかな」。写真撮影では流暢(りゅうちょう)な日本語で冗談を交えながら笑みを見せるものの、「私の歩みは、母の死抜きでは語れない」と明かす人生には深い苦しみが影を落とす。 9年前、安楽死が認められたスイスで独り暮らしをしていた母が突然、自殺幇助(ほうじょ)団体に自らの死を申請した。母は友人の死をきっかけに鬱状態に陥っていた。「通るわけない」と楽観していた周囲の思いをよそに、4カ月後には医師らの診断を経て申請が認められた。 日本から連日、電話で母を説得したが、けんか別れに。「これからの人生は下り坂しかない。死ぬのは私の権利だから、あなたに引き留める権利はない」。決意は変わらず、2016(平成28)年2月、自宅で他界した。母が「死ぬにはちょうどいい天気」と語った雪の降る日。70歳だった。 両親は離婚していたが、母の死を知った父はショックのあまり1カ月後に急逝した。母が死を迎えた実家に帰る気にもならず、兄姉とも疎遠になった。 スイスでは、医師から処方された致死薬を患者が摂取して亡くなる自殺幇助が認められている。治る見込みのない病だけでなく、精神障害や認知症の患者にも適用される。 とはいえ、大きな疾患はなく、鬱状態の薬も飲んだり飲まなかったりだった母の希望をなぜ認めるのか。自殺幇助団体への不信感と母への怒り。母の強固な意志がもたらした影響は大きすぎた。 「すべてを失った感じで、気が狂いそうでした」