「おっさんでも」日大三島・永田監督、泥だらけ指導 2年でセンバツ
就任からわずか2年で、日大三島を甲子園出場に導いた永田裕治監督(58)。自ら体を張り、選手をその気にさせる話術を使って、公式戦でほとんど勝利のなかったチームを激変させた。一体、どんな“永田マジック”を使ったのだろうか。 「甲子園に行くチーム(のプレー)じゃないだろう」――。センバツ出場決定から一夜明けた1月29日、日大三島のグラウンドに、永田監督の声が響き渡った。試合形式の守備練習で、甘さが目についたことへの叱咤(しった)だった。「もう一度(ノック)行こう」とグラウンドに散る選手たち。「試合で『もう一度』はできませんから」と永田監督は取材に、厳しい言葉の真意を語った。 永田監督は、母校の報徳学園を率いて春夏計18回の甲子園出場を果たした。2002年のセンバツで頂点に立ち、U18(18歳以下)日本代表の監督も担った。報徳学園監督時代に指導を受けた神戸学院大付の岩上昌由監督(45)は「選手をのせるのが上手だった。指揮棒のように、ノックバット1本でチーム(の雰囲気)を上げていた」と語る。 そんな名将が選んだ新天地はこれまで縁がない土地で、甲子園から30年以上遠ざかっていた静岡県の日大三島。「日本代表の監督で野球の奥深さに気づいて、また火がつきました。一からチームを作っていくのが合っている」と、20年春に就任した。当時、公式戦の勝利はほとんどなかった。 永田監督は「個々の技術は決して高くない。でも意識は変えられる」と考えた。甲子園を狙う選手がそろう報徳学園と比べ、「選手が監督に向かってくる気迫が足りない」と感じていた。ノックを自ら受けてダイビングキャッチし、飛び込むようなスクイズの手本も見せ、監督自らユニホームを泥だらけにした。「不細工だけど、おっさんでもできるんだぞ、というのを見せたかった」と永田監督。加藤大登主将(3年)は「自分たちも監督に置いて行かれないように、もっと上に行かなきゃという意識になった」と振り返る。 西川真史部長(35)は、これまでのチーム作りとの違いを感じていた。ある日、守備練習で強風にあおられた外野フライを選手同士がお見合いした。西川部長の目には「以前なら声を掛け合うよう注意して終わったプレー」だが、永田監督は「ボールが落ちる瞬間まで諦めず、飛びついてでも取る気持ちで」と注意した。目前のボールに対する執着心は、徐々に選手に浸透した。 昨秋の公式戦は、粘り強さを発揮した。静岡大会は準々決勝、準決勝で2試合連続サヨナラ勝ちし、1球に懸ける精神を選手が体現した。勢いそのままに、強豪ぞろいの東海大会で優勝し、「指導者生活の中で、これだけ成長する選手は正直見たことがなかった」と永田監督を驚かせた。 「試合になれば(主役は)選手。試合で躍動するように持っていくのが監督の役目」。指導者として揺るぎない思いを胸に、甲子園に臨む。【川村咲平】 ◇全31試合をライブ中継 公式サイト「センバツLIVE!」(https://mainichi.jp/koshien/senbatsu/2022)では大会期間中、全31試合を動画中継します。また、「スポーツナビ」(https://baseball.yahoo.co.jp/hsb_spring/)でも展開します。