廃屋のような場所で見つけた、神々しい世界──弁当配達とレンズを介し、独居老人と向き合った男の10年
辞めるたびに、まずは引きこもり、そのあととにかく体を動かした。歩いて日本を縦断したり、自転車で沖縄まで目指したり。そしてそれまで自分が見てきた光景を振り返った。 「人生のゴールテープを切るときがあれかあ」「自分もこの可能性がある」「日本て、もっと豊かな国じゃなかったの」「老後は子どもや孫に囲まれて、最後はみんなに囲まれて『ありがとう』って言いながら死んでいくはずじゃなかったの」 それがリハビリになって、考え尽くしてすっきりするとまた店に戻った。
廃屋のような場所で見つけた、神々しい世界
撮った写真について、福島さんが意識していなかった意味を教えてくれたのは、再度の写真展に来てくれた友人だった。福島さんの写真を見てまた涙を流す来場者がいるなかで、彼はこんな感想を伝えてくれた。 「福島君の写真は、最初は老後とか親のこととか考えてしまうんだけれど、ずうっと見ていると、それが生に切り替わるんだよね」 それを聞いた瞬間、「全てがひっくり返った」という。 「それまで自分はその人たちに忍び寄る死みたいなのを撮っていた認識だったんですね。でも本当は、厳しい状況だけれども毎日食べる、毎日生きるという姿に感動していたんだという自分の気持ちにようやく気づいて、それから百八十度自分の世界が変わったんです」 身なりも構わず、部屋も荒れ放題になっているなかで弁当にかぶりつく。お客さんのお年寄りたちがさまざまな人生を経て行き着いたのは、「食べる」というシンプルな生の姿だった。それが生きて行くことの最後の形だった。 《一生懸命、生きなきゃな》 あの目の不自由なおじいさんの言葉がよみがえる。 それから福島さんの撮影は変わった。3歩4歩下がったところから恐る恐る撮っていたものが、ぐっと近寄ってお客さんたちの生きていく姿をフォーカスするようになった。「ようやくこの人たちのこういう姿が撮りたいという信念が身体の中にバンと入った感じ」という。 「最初は廃屋みたいなところで社会の裏側と思っていたんですが、ふだん歩いていたら誰も気づかないような小部屋に神々しい世界があることがわかりました。お客さんたちの人生を肯定できるようになったし、ぼく自身の人生も肯定できるようになりました」 それはお弁当配達のモラトリアム青年が写真家に生まれ変わった瞬間かもしれない。1年半後の14年、「もういいな」と思えたので、お弁当屋を本当に辞めた。10年経っていた。今の時代、ドキュメンタリーの写真集を出すことは難しいので、半ば諦めかけていた。しかし19年に京都で写真コンペに出展するとグランプリを獲得、それを見ていた編集者から声が掛かり、お店を辞めてから7年後にようやく実を結ぶことができた。