廃屋のような場所で見つけた、神々しい世界──弁当配達とレンズを介し、独居老人と向き合った男の10年
とんでもないことをしてしまったのではないか、突然襲われた罪悪感
その中でとりわけ印象深いお客さんがいる。90歳を超えたおじいさんで、彼は目が不自由にもかかわらず、本当にひとりで生活をしていた。朝起きると手で壁を伝いながらトイレに行き、お弁当を毎回テーブルの決まった位置に置くと、手探りでスプーンを取り、ときには両手を使って食べた。そして口癖のようにつぶやく。 「一生懸命、生きなきゃな」 福島さんはその姿をしっかり見たいと感じて、毎日おじいさんが食事をする光景をずっと見守っていたという。その写真は写真集の表紙になった。
そういった日々を重ねて写真がたまり写真集へ――となるほど、うまく運べないのが写真家の人生だ。福島さんは10年間のうちお店を辞めたり再入店したりを3回も繰り返している。きっかけは配達写真で初めて写真展をやったときの「事件」だった。ひとりでお弁当を食べている姿や乱雑になった部屋を撮影した写真を前に、10分間も呆然と立ち尽くしたり、静かに涙を流したりする来場者までいた。自分はなにかとんでもないことをしてしまったのではないか、福島さんを突然罪悪感が襲う。 「あれだけ仲良くしてくれた人たちを『可哀想な人』として世の中に出してしまった。『よくこんな写真が撮れましたね』と言われれば言われるほどもう写真を撮るのはやめようと思い、翌日から実際に撮るのはやめて、ほどなくお店も辞めました」 もともとその前から、撮影が苦しくなっていたのだという。 「お弁当屋さんで働いていることが自分の100%になってしまっていたんですね。『弁当屋さんとお客さん』という関係性プラス『写真家と独居老人』。お弁当を配達しているときも撮影しているときも、にこやかで楽しいのに、夜に帰宅して写真を改めて客観視したら、そこに写っているのは暗くて重い日本の現状です。撮影しているときとのギャップに混乱しました。写真を撮るためにこのアルバイトを始めていたらそうは感じなかったんでしょうけれど、アルバイトから入ってたまたま写真を撮り始めたので、うまく切り替えられなかった」