廃屋のような場所で見つけた、神々しい世界──弁当配達とレンズを介し、独居老人と向き合った男の10年
「ぼくはまだ若かったのでそういう老人社会の影みたいなところを知りませんでしたし、びっくりしました。でも逆にもうちょっと知りたいと思ったんですよね」 それから宅配ピザの配達員が乗るような屋根のあるバイクにまたがり、黄色いユニホームに身を包んで老人宅を回る日々が始まった。お客さんは高齢者の独り暮らし。といってもさまざまなパターンがあって、本当に独居生活の人もいれば、週末だけ親族が来たり、夜に同居人が帰ってきたりする家もあった。福島さんは毎日平均して昼と夜にのべ50軒のお客さんにお弁当を手渡ししていった。
シャッターを切れなかった、最初の半年
お客さんの写真を撮ることは店長が勧めてくれた。そのころよく撮っていたのは高層ビルなど無機質な街のスナップ写真だった。「人を撮んないの?」と聞かれた。 「いやあんまり人物撮影に興味なくて」「人は面白いから人を撮りなよ。お客さんの笑顔を撮ってプレゼントしたら喜んでくれるよ」
店長は常々、福島さんに「福祉は単なるビジネスにしちゃいけないよ。ちゃんと心と心でつながらないといけないよ」と言うような人だった。 とはいっても写真が撮れない。いや、客宅に一眼レフを持っていくのだが、撮るのは室内ばかりでお客さんにレンズがなかなか向けられなかった。
もともと高い志をもって写真の道に入ったわけではなかった。 「大学進学のときに他の文系学部に興味が持てなくて、たまたま写真学科があることを知り、『なんか面白そう』程度で進学しました。。それまでカメラなんて触ったこともないし、一眼レフの存在を知ったのも入学後です。大阪の大学に進んだのも他の大学は全部落っこったから」 撮影を勧められて「自分が受けた衝撃を世の中に発信できるかもしれない」と意気込んだが、撮る覚悟がなかった。毎日カメラを持ってお弁当を配って回り、帰宅すると「今日もひとりも撮れなかった」と自己嫌悪をいつも募らせた。半年過ぎたころ、ようやくおばあさんに「一枚撮らせてもらえませんか」とポロリと言葉が出た。おばあさんも気軽に応じてくれて、やっと初めて撮れた。とくに親しいというわけでもないお客さんだったが、「思わず言葉があふれ出るように頼んでいました」。 それからはどんどんお客さんに声をかけられるようになった。頼めばほとんどの人が撮らせてくれる。そして撮った写真を本人に渡すとやはり喜んでくれた。 「でもそれよりうれしそうなのは、撮影しているときですね。趣味を尋ねると絵を見せてくれたり、若いころの写真を見せてくれたり。みんな自分の人生を誰かに伝えたい欲求があって、そこにぼくがちょうどよくやってきた。カメラが間に入ることで、よりお客さんに中身の濃い配達ができるようになりました」