名奉行「遠山の金さん」の彫り物は、桜吹雪ではなく“女の生首”だった!?『禁断の江戸史』より
衝撃! いまの高校生は「遠山の金さん」を、ほとんど知らない!?
そんな誰もが有名な時代劇の「遠山の金さん」だが、十年前まで高校の教師をしていた河合先生は、授業中に衝撃を受けたことがあったという。 「生徒たちに江戸幕府の職制を話すときに、町奉行の項目で遠山の金さんの話をしたんです。ところが、彼らはほとんど反応しなくて……。 いまの高校生たちは、この名奉行を知らなかったのです。私にとって生徒との年齢差を実感させる出来事でした(苦笑)」(以下、すべて河合先生) そんなジェネレーションギャップを感じたという河合先生。
「遠山の金さん」のストーリーは間違いだらけ!?
先生に「遠山の金さん」のストーリーについて聞くと、ほとんどがウソだらけなのだとか。 「町奉行が直接容疑者に尋問するのは禁じられているし、裁判中、町奉行は動かずに行儀を正していなければいけません。ましてや立ち上がって彫り物を見せるなどもってのほか。そもそも、縁側からお白洲へ降りる階段など存在しません。 しかもドラマの金さんは、彫り物を見せて相手を観念させたあと『市中引き回しのうえ獄門』などと、判決を犯人に申し渡していますが、これも間違いです。 死罪などの重刑は、あらかじめ将軍や幕府の老中の許可が必要。しかも申し渡しは奉行所ではなく、牢屋敷においておこなわれるものなのです」
金さんが遊び人に扮して市井を徘徊していた……のはウソだった!
さらに、実際の町奉行の遠山金四郎が遊び人だったというのもウソであると、河合先生は指摘する。 「悪い仲間と付きあい、博打を打ったり、森田座(芝居小屋)で囃子(はやし)方の笛を吹いていたという逸話もありますが、あくまでそれは若い時分の話です。 金四郎が初めて北町奉行に就任したのは48歳のときで、当時としては老年といってもよい年齢。 それに町奉行は、現在でいえば東京都知事、地方裁判所の長官、警視総監、閣僚を兼ねる地位で、在職中の死亡率が高い激務です。ちょいワルオヤジのように、悪所に出入りして遊んでいる暇などないですよ」
金さんの入れ墨は、桜吹雪ではなかった!
ここまで、時代劇での“金さん”の内容にこんなにウソが多いとなると、気になってくるのは、本当に遠山金四郎が桜吹雪の彫り物をしていたか?ということである。 じつは金四郎と同時代の、作者不詳の『浮世の有様』には「金四郎は賭場(とば)に出入りするなど放蕩(ほうとう)生活を送り、たびたび悪事も働いていたが、やがて家督を継ぐことになった。だが、総身に彫り物をしているので醜い」とある。 つまり、全身に彫り物をしていたというのだ。 「数年間、金四郎の部下であった佐久間長敬(おさひろ)も『江戸町奉行事蹟問答』(南和夫校註 人物往来社)の中で、体に彫り物をしていたという証言を残しているんです。となると、どうも彫り物があった可能性は高いようなんですが、具体的な紋様は語られていませんでした。 それが明記されるようになるのは、明治時代の記録からです。 木村芥舟(きむらかいしゅう)は『左腕に花の紋様を描いた入墨があった』と回想していますし、中根香亭(なかねこうてい)が著した『帰雲子伝』(金四郎の略伝)には、金四郎があるとき歌舞伎の脚本家・二世並木五瓶(なみきごへい)と喧嘩になったが、興奮のあまり相手に殴りかかろうと腕をまくり上げた瞬間、肩から腕にかけての彫り物が顔を出した。 なんとそれは、女の生首が髪を振り乱して巻物を咥(くわ)えた絵柄のまことにグロテスクなものだった、とあります。遠山の金さんの彫り物が桜吹雪ではなく、女の生首だというのは、イメージが狂ってしまいますね」