「表現の不自由展」中止問題 参加アーティストが会見(全文1)表現の自由に対する責任
愛知県で開催中の国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の参加アーティストは10日午前、日本外国特派員協会(東京・千代田区)で記者会見を開いた。 【動画】「表現の不自由展」中止問題 参加アーティストが会見 ※【**** 00:35:30】などと記した部分は、判別できなかった箇所ですので、ご了承ください。タイムレコードは「「表現の不自由展」中止問題 参加アーティストが会見(2019年9月10日)」に対応しております。 ◇ ◇
表現の自由への責任は数多の人々の死によって成り立っている
司会:小泉さん、お願いします。 小泉:皆さん、おはようございます。今日はこのような機会をありがとうございます。小泉明郎と申します。私は今回あいちトリエンナーレで、本展のほうでシアタープログラムに作品を発表するのと、もう1つ、「表現の不自由展・その後」のほうにも作品を展示しています。日本人の私たちにとって表現の自由っていう言葉を聞いて、何かその言葉っていうのがすごく抽象的というか、何かちょっとふわふわとした言葉のように感じる人が多いと思っています。でも80年前、例えば私たちの祖父母の世代の人たちは、自由がないという状況がどれだけ危険な社会かっていうことを、彼ら彼女らは肌感覚として知っていました。 私たちアーティストもこの5年間です、この5年間、5年前と今と比べて美術館という空間でどれだけの表現が、表現の幅というのがどんどん、美術館という空間でできる表現の幅がどんどん狭くなっていっているということを私たちは今、体験しています。私たちアーティストは表現の自由が不完全なものであって、それには限度があるということはもちろん承知しています。でもその不完全であるからといって表現の自由が必要ないかといったら、もちろんそうではないし、表現の自由に対する責任というのは残ります。私たちアーティストはその責任を負っています。 この責任というのは私たちアーティストとか津田芸術監督とかそういう人たちが負えるような種類の、そんな軽い責任ではありません。なぜならこの自由を獲得するために歴史上、何百万、何千万とそれこそ、という人たちの死によって、この責任というのは成り立っているからです。