〈アメリカでブームの日本酒に立ちはだかる3つの壁〉ユネスコの無形文化遺産登録も、市場拡大に必要なこと
現地生産の可能性
こうした流通と価格の問題を打破する動きも出てきた。それは、高品質の大吟醸酒を現地生産するというアプローチである。『獺祭(だっさい)』ブランドで有名な山口県の旭酒造が、ニューヨーク州に自社工場を建設して、『獺祭ブルー』のブランド名で既に製品が市場に出ている。米は山田錦を日本から持ち込んでいるようだが、水は現地のものを使用しているという。 この水が問題で、日本とは異なって硬水であるので、これを上手く使っておいしい日本酒を作るのにはかなりの困難があったらしい。『獺祭』については、杜氏の伝統とは別の純粋な機械とコンピュータによる成分管理で味のクオリティを維持しているのは有名だ。また、そのアプローチを伝統からの逸脱だとして、距離を置く左党の諸兄姉がいるのも事実である。 だが、硬質の現地の水資源を使って、基本的には精米比率50%以下の「大吟醸」を作り、しかも味は『獺祭』のクオリティを維持するというのは、途方もない仕事である。この点では、センサーを駆使した科学的な酒造りというのは、避けて通れなかったのだと思う。何よりも『獺祭』の場合は、一旦は世界市場で評価がプレミアム化して実勢価格が暴走したのを、大規模投資によって大量生産と品質維持を両立させる中で、価格の適正化を成功させた事例もある。 アメリカでの現地生産というのも、価格の適正化と冷蔵によるサプライチェーンの確保という2つのアプローチによって、本当に正しい品質、手に取りやすい価格での日本酒普及の手段だという評価が可能だ。その『獺祭ブルー』の価格だが、最も手頃な精米比率50%のもので、四合瓶が27ドル(4200円程度)という水準だ。日本製を持ち込むよりは価格が抑えられており、現地生産のメリットは出ている格好だが、この値段の酒を普段の家飲みにできる市場ということになると、やはり限られてくる。 普通酒ではなく、味の良い純米酒や吟醸酒の四合瓶について、日本のように1200円というのは難しいにしても、相当に市場を拡大するには、15ドル前後でふんだんに流通させることが望ましい。これに、日本食以外と合わせる飲み方を提案できれば、拡大のスピードを早めることは可能だろう。 アメリカにおける日本酒がブームになっているのは事実だ。だが、更に市場を拡大するには抜本的な対策が必要で、物流、流通、価格を改革しつつ、新たなライフスタイルの提案が必要になってくる。今回のユネスコの無形文化遺産登録を契機として、様々な試みが活発化することを期待したい。
冷泉彰彦