六代目中村時蔵襲名!初日を迎えて楽屋で語ってくれたこととは?<令和を駆ける“かぶき者”たち>
江戸時代の初期に“傾奇者(かぶきもの)”たちが歌舞伎の原型を創り上げたように、令和の今も花形俳優たちが歌舞伎の未来のために奮闘している。そんな彼らの歌舞伎に対する熱い思いを、舞台での美しい姿を切り取った撮り下ろし写真とともにお届けする。ナビゲーターは歌舞伎案内人、山下シオン 【撮り下ろし舞台写真】中村時蔵が演じたお三輪
主に古典の演目で女方として活躍しつつ、二枚目の立役でもその本領を発揮してきた中村梅枝さんが、由緒ある「中村時蔵」の名跡を六代目として襲名した。 2024年6月、歌舞伎座の「六月大歌舞伎」で、新・時蔵さんと同時に父である五代目中村時蔵さんが初代中村萬壽を襲名、そしてご子息の小川大晴(ひろはる)さんが五代目中村梅枝として初舞台を踏むという、親子三代でのおめでたい公演がついに実現したのである。 襲名とは、名前を受け継ぐということ。曾祖父から祖父へ、祖父から父へと受け継がれてきた「中村時蔵」の名跡を襲名し、名乗るということは、歌舞伎俳優として大きな節目であり、新たな出発が始まることを意味する。 ──中村時蔵という名跡を襲名することへの率直な気持ちを教えてください。 時蔵:父から「時蔵を譲る」と言われたのは今から約3年前になります。まさかこれほど早く時蔵という名跡を譲られるとは思っておりませんでしたので、「ご自身はどうするんですか? 引退するんですか?」と聞くと、「私は新しい名前を作って、梅枝は子どもに譲ればいいじゃないか」と言われました。当時はコロナ禍の真っ只中で、歌舞伎の興行自体がどうなっていくのかが全くわからない状況でしたから、「ありがとうございます」とは即答出来ず、お断りしました。時蔵という名前は萬屋にとって大きな名前ですし、当代が亡くなられてから次の方が受け継ぐというのがこれまでの慣例でございましたので、全くの想定外の出来事だったからです。正式に決まったのは去年の6月くらいだったのですが、コロナもずいぶん収まってきて、歌舞伎の公演も継続的に上演されるようになりましたので、ようやく時蔵を譲っていただくということで、承りました。 ■襲名披露狂言としては『妹背山婦女庭訓』の四段目から「三笠山御殿」が上演され、時蔵さんは女方の大役、お三輪を初役で勤める。 『妹背山婦女庭訓』は大化の改新をモチーフに壮大なスケールの物語を描いた“王朝物(平安時代までの天皇家や公卿を扱った作品)”。舞台となる三笠山御殿は蘇我入鹿(そがのいるか)が建てたもので、入鹿の妹である橘姫がこの御殿に帰ってきて袖についていた赤い糸を手繰ると恋人の烏帽子折の求女(もとめ)が現れる。お三輪もまた恋する求女に会おうとして苧環(おだまき・麻糸を巻いたもの)の糸を頼りにこの御殿へとやってくるのだが、官女たちに意地悪をされて求女に会うことができない。そこに求女と橘姫の祝言の声が聞こえてくると、嫉妬のあまりにお三輪の形相は変わってしまう。この「疑着の相」と呼ばれる嫉妬の形相をした女性の生き血が、入鹿を討伐しようと図っている求女の役に立つと聞いて、お三輪は自ら犠牲となっていく……。 今回の公演では、お三輪を散々いじめる官女には、時蔵さんの本名と同じ小川家の立役の俳優が勢揃いし、通りがかりの豆腐買の役には、片岡仁左衛門さん、ご子息の中村梅枝さんが登場するなど見どころが満載となっている。 ──襲名披露狂言で女方の大役であるお三輪を演じることにはどんな思いがありますか? 時蔵: 祖父(四代目中村時蔵)も父も襲名披露でお三輪をさせていただいているので、僕が初役でこのタイミングでさせていただけるのは、巡り合わせのように思います。 昨年9月に『妹背山婦女庭訓』の「吉野川」をさせていただいた際にも思いましたが、この作品には「大化の改新」という政変を扱っているという大きなパワーだけでなく、ファンタジー的な要素もあります。さらに、この壮大なスケールの世界観の中にお三輪という一人の町娘を放り込んで描いているところが面白いのだと思います。「三笠山御殿」では、その町娘が恋する男のために大きな屋敷に迷い込んで、さまざまな局面にあって、嫉妬に狂う「疑着の相」へと続いていきます。「疑着の相」という結末をどれだけ深めてお客様にお伝えできるかどうかは、お三輪としてどういうプロセスを踏んでいくかということが大事だと思います。 自分一人だけで世界観を創り上げなければならないという難しいお役ではありますが、(中村)歌右衛門のおじ様、(尾上)梅幸のおじ様、玉三郎のおじ様、父といったお三輪を演じてきた女方の皆様がこの役を大事にされているのは、それだけ魅力があるということなのでしょう。今回は襲名披露狂言でもありますので、代々のお三輪に引けを取らないように精一杯勤めます。 ──お三輪をいじめる官女で本名の小川家の皆さんが勢揃いすることになったのは、どんな経緯で決まったのでしょうか? 時蔵:最初は(中村)歌六のおじと(中村)又五郎のおじに出てもらえればと思っていたのですが、途中で小川家(小川は本名の姓。時蔵さんの親戚にあたる俳優の中村歌六さん、中村又五郎さん、中村錦之助さん、中村獅童さん、中村歌昇さん、中村種之助さん、中村隼人さん)の立役で揃えられるのでは、という話に。劇中でお三輪はいじめの官女に持ち上げられる場面がありますので、若手の人たちの出演も必要だと思ってお願いしたところ、とてもありがたいことに皆が了承してくれました。 一方で、かつて6月の歌舞伎座の公演は大おじの萬屋錦之介が中心となって行われていたことがありまして、僕自身の初舞台もその公演の一環だったことを後になって知りました。今回は僕の父と息子の襲名、初舞台と同時に(中村)獅童さんの息子である(中村)陽喜くんと(中村)夏幹くんの初舞台でもあります。獅童さんは、錦之介のおじのようにまた小川家が中心となった公演を復活させたいという思いがあって、父の元に相談に来られたのですが、その獅童さんの思いと父の思いが合体して今回の公演になりました。そういう意味でも小川家だけで官女を揃えられるということは、僕たちにしかできないことだと思いますし、これをきっかけに今後も何らかの形で小川家の皆で共演したいです。 ──新・時蔵として、どんな目標を掲げていますか? 時蔵:まず、どの役を演じる上でも品を大事にすることが萬屋の教えなので、時蔵の格に加えて、さらに品格のある大きな役者にならなくてはなりません。そして代々の時蔵に劣らぬように、芸をもっと磨かなければならないと思います。 女方としては『伽羅先代萩』の政岡のような「片外し(武家の女性の髪型の名前で、武家女房や御殿女中の役を意味する)」のお役が目標の一つだと思いますので、いつか大きな劇場で勤めさせていただけるようになりたいです。 僕の最終的な目標は『茨木』を歌舞伎座で演らせていただける役者になることですね。鬼の茨木童子を六代目の歌右衛門のおじ様、対する渡辺綱を二代目の(尾上)松緑のおじ様がなさっている映像を拝見したことがあるのですが、それがとても素晴らしくて。上演時間も長く、茨木も綱も、さらに長唄の皆さんもとても大変な演目なのでなかなか上演されませんが、だからこそ演じてみたいと思いました。