NGリスト問題を理由とする記者会見の失敗論について
3. NGリスト問題による批判というものの中身の不明確
本見解の多くは、NGリスト問題で批判を拡大させたことが失敗だと論じていますが、2回目の記者会見の現場では上記1(3)のとおり、旧ジャニーズ事務所は特定の記者のNG扱い(特定の記者だけを指名しない、応答しない等を言います。以下同じ。)などしていません。 旧ジャニーズ事務所が記者のNG扱いを実際に行ったから批判された、というのであれば分かりますが、記者会見の録画内容からも明らかなとおり、旧ジャニーズ事務所はNG扱いなどしていません。少なくとも旧ジャニーズ事務所による2023年10月10日付けリリース以降は、10月2日の会見当日の様子は録画という客観証拠が存在することもあり、一部のネット・メディアを除けば、旧ジャニーズ事務所が現にNG扱いをしたと具体的に指摘する論評はないように思われます。 そうすると、実際にはNG扱いをしていないにもかかわらず、「NGリスト問題が旧ジャニーズ事務所への批判の拡大となった」という見解が、何故、成立するのかが不明です。この点は、本見解の中身を見ても、明らかではありません。本見解も、実際の会見内容という客観証拠に照らし、「記者会見でNG扱いがあったのが事実だ」と主張しているわけでもないと思われます。実際にはNG扱いなどされていないのに、NGリストが作られたこと自体が、何故、いかなる点で問題になるのか、きちんと見解を述べている見解は見当たらないように思われます※3。 ※3 1社1問とする質問数の制限に対する批判がありましたが、質問数の制限が問題だというならば、それを正面から論じるべきです。記者会見会場の物理的・時間的制約や、回答者の体力や集中力の限界がある中で、できるだけ多数の記者の方に公平に質問の機会を付与する観点から、質問数の制限は必要だと、私は考えます。 質問数の制限を批判する方は、多数の記者への公平な質問機会の付与について、どのように考えているのでしょうか。あるいは、1社1問ではなく、2問や3問という制限ならよいと考えているのか、その理由は何なのか、4問や5問でなくてよいのか、といった疑問もあります。そもそも、旧ジャニーズ事務所の2回の記者会見の録画だけを見ても明らかなとおり、一般に、実際の記者会見では、質問数の制限をしても、それを超える複数の質問がなされることも少なくありません。よほど極端に質問数が多いケースや質問者がマイクを長時間にわたり独占しているケースでない限り、回答者も質問に概ね全て答えることが通常ですが、こうした批判は、記者会見のそうした実情ないし実態を承知した上での見解なのかどうかも疑問です。 なお、旧ジャニーズ事務所の2023年9月7日の第1回目記者会見では、記者会見ベンダーに対し、主要なテレビ局及び新聞社から「多くの記者が質問をしたい中で特定の記者がマイクを長く握って説明や意見表明に時間を割いてしまい、したい質問が出来なかった」、「質疑応答の仕切りが悪い」、「不規則発言が多いのでもっと整然とまともに質問ができる場を整えてほしい」などといったフィードバックがあったとのことです(上記2023年10月10日付け「NGリストの外部流出事案に関する事実調査について」)。 このように、NGリスト問題は、一体、何を批判しているのか、批判の中身がはっきりしないまま批判だけが先行した、という問題であったように思われます※4。 ※4 その原因の1つは、後述するとおり、最初にNGリスト問題を取り上げたテレビ局の報道が、実際にはNG扱いがなかったこと(NGとされた記者であっても、記者会見の現場では、指名や応答が実際には行われていたこと)はあまり取り上げず、「現在の」旧ジャニーズ事務所に対する批判を専ら目的としたものであったこと、他のテレビ局もそれに追随した報道を行ったことにあると思います。当時における、NGリスト問題は「批判だけありき」という風潮の中で、「実際の会見でNG扱いがあったのかどうか」等といった客観的な事実に対する冷静な検証がおざなりにされてしまい、批判一色の中で「物言えば口寒し」という状況で正論が萎縮した面もあったのではないか、日本の将来という観点から、危惧されるところです。 本見解の多くは、「実際の記者会見ではNG扱いなどなかったのに、NGリストが作られたこと自体が、何故、いかなる点で問題になるのか」という問に答えることなく、ただ「NGリスト問題で批判を拡大させた」等と繰り返しているだけです。 この問に答えないで批判するだけでは、「『失敗と批判されたことが悪い』と批判する」という循環論法に過ぎません。「失敗だと自分たちが声高に批判をした」ことをもって批判の理由とするようでは、マッチポンプと変わらないことにもなります。報道機関が批判すれば何でもかんでも正しいというわけでもありません。 それでは、実際の記者会見ではNG扱いなどなかったのに、何故、テレビ局を中心とする報道機関がNGリスト問題で旧ジャニーズ事務所を批判したのでしょうか。 特に、テレビ局や新聞社を含む報道機関側も、10月2日の会見に参加していたのだから、NGとされた記者の方の質疑に実際は相当程度の時間が費やされていたことを十分に認識していたはずです。また、この記者会見の途中で、登壇者の1人が不規則発言を自粛して司会進行に従うように要請したことに対し、記者会見会場の記者の圧倒的多数が賛同して拍手していました。なお、私も大いに賛成しました。 加えて、前述のとおり、NGリスト自体は性加害問題の本質から外れた問題であり、旧ジャニーズ事務所の記者会見では登壇者の発言内容に失言があったとされたわけでもありません。 それにもかかわらず、何故、NGリスト問題に対して、特にテレビ局を中心とする報道機関が激しい批判を始めたのかは、報道の在り方という観点から検討を要します。 この点、詳細を論じるのは後日を期すとして、NGリスト問題は、最初のテレビでの報道の仕方が、実際にはNG扱いがなかったこと(NGとされた記者の質問であっても、記者会見の現場では、実際には指名や応答が行われていたこと)はあまり取り上げず、故ジャニー喜多川氏ではない、「現在の」旧ジャニーズ事務所に対する批判を専ら目的として、覆面インタビューなどセンセーショナルな方法で報道を行ったことが影響したと、私は思います。 そして、テレビを中心とする報道機関側が、性加害問題への忖度や沈黙を批判されている背景の下、「現在の」旧ジャニーズ事務所を批判するネタを探す中で安心して批判できるネタがあったとして、あるいは、最初の報道を受けて自社も批判に回らざるを得ないと強いられて、NG扱いなど実際にはなく、本題とは関係ないことにはほとんど触れずに、一斉に報じたものだと、私は考えています。