最後は“プラチナ・チケット”も「日本唯一、異形のバス」最終日に密着! 100年の歴史ついに終わり
トロリーバスが都市部から消えたワケ
富山県と長野県を結ぶ山岳観光ルート「立山黒部アルペンルート」の日本唯一だったトロリーバスが2024年11月30日に運行を終えました。 【廃止されました】トロリーバスが走る場所、ラストランの様子をイッキ見(写真) 日本でトロリーバスの営業運転が始まってから96年。その歴史に幕を下ろす節目とあって、事前募集した最終便は「驚異的な」抽選倍率でした。ラストランの様子を見てきました。 そもそもトロリーバスは、名称に「バス」という言葉が入っているものの、構造的には電車に近似した乗りものです。 車両の屋根には棒状の集電装置「トロリーポール」が付いており、これを使って上空に張ったトロリー線(架線)から電気を取り込んでモーターで走ります。ハンドルや足元のペダルを操作し、タイヤで走る様子から一般的なバスのように思えますが、鉄道事業法では鉄道の一種である「無軌条電車」に分類しています。よって、運転には動力車操縦者運転免許証が必要です。 日本で初めてトロリーバスが営業運転を開始したのは1928年で、兵庫県の温泉施設への輸送用に使われました。第2次世界大戦後の1950年代には東京都や横浜市、大阪市などの大都市に相次いで登場したものの長続きせず、1972年の横浜市を最後に都市部からは一掃されました。理由は、モータリゼーションで悪化した道路渋滞に巻き込まれて定時運行が難しくなったことや、車両の製造費用が割高なことなどがネックになったと言われています。 一方、立山黒部アルペンルートのうち扇沢~黒部ダム間の6.1km(関電トンネル)では、関西電力が最初の東京オリンピックが開かれた1964年にトロリーバスの運行を開始。立山の主峰・雄山(標高3003m)の直下を貫通する「立山トンネル」の室堂~大観峰間3.7kmを運行する立山黒部貫光(富山市)も、1971年の開通後に使っていたディーゼルバスを1996年以降、トロリーバスへ切り替えました。
走らせ続けるために現場も四苦八苦
立山黒部アルペンルートでトロリーバスが長く活躍できたのは、走る時に二酸化炭素(CO2)を排出しない環境性能の良さが評価されたためです。このルートはほぼ全区間が中部山岳国立公園内にあり、環境保全が必要とされます。 立山黒部貫光の担当者も「ディーゼルバスの排出ガスによる環境への影響を考慮しました」と述べていました。 しかし、老朽化したバスの修理用の部品調達が難しくなり、置き換えには製造費がかさむなどの課題が浮上。関電トンネルのトロリーバスは先んじて2018年に運行を終えており、同じく走行中にCO2を出さないリチウムイオン電池充電式の電気バスに置き換えました。 これに伴って、2019年以降は立山トンネルトロリーバスが日本唯一のトロリーバスとなり、根強い人気を誇ってきました。8台のバスは車体を大阪車輌工業(大阪市)が製造し、運転席を含めた定員は73人。最高速度40km/hで走り、前出の室堂~大観峰間を10分で結んできました。立山黒部貫光によると、トロリーバスには29年間で累計1992万4000人程度が乗車したそうです。 室堂運輸区の早川 忍技術長は「どれぐらい長くトロリーバスを維持できるかと考えながら(整備を)してきた」ものの、「いろいろな問題が発生し、維持のための部品(確保)の関係もあって会社が限界だと判断しました」と打ち明けました。 こうして迎えた最終日、11月30日には便数を大幅に増やした特別ダイヤで運行し、1便当たり最大4台が隊列を組みました。アルペンルートを通るツアーの企画にも携わった旅行会社社員、金船裕さん(49)=大阪府池田市=は「十数年前から毎年1回は乗りに来ていました。独特のモーター音とインバーター音を立てながらタイヤで走るのはトロリーバスならではで、何としても乗り納めをしたかった」と話しました。