ノーベル委員会が日本被団協を高評価 核兵器の懸念が高まるなか…海外でも注目
日本被団協へのノーベル平和賞の授賞式がノルウェー・オスロで行われた。各地で紛争が続くなか、被爆者の声や核兵器廃絶への訴えが世界で注目される機会となった。オスロの人たちや取材に訪れた海外メディアの記者たちが、被爆者の体験談に胸を痛めていたのが印象的だ。 ただ被爆者の平均年齢は85歳を超え、実際に被爆体験の記憶が残る人は少なくなってきている。ノーベル平和賞の授賞式は、被爆体験や核兵器の廃絶を訴える運動を次世代に継承することも大きなテーマの一つとなった。 【画像】ノーベル委員会が日本被団協を高評価 核兵器の懸念が高まるなか…海外でも注目
世界に訴えた被爆体験と核兵器廃絶への思い
「想像してみてください。直ちに発射できる核弾頭が4000発もあるということを。広島や長崎で起こったことの数百倍、数千倍の被害が直ちに現出することがあるということです。みなさんがいつ被害者になってもおかしくないし、加害者になるかもしれない。ですから、核兵器をなくしていくためにどうしたらいいか、世界中のみなさんで共に話し合い、求めていただきたいと思うのです」。 12月10日、オスロ市庁舎の厳かな雰囲気のなかで開かれたノーベル平和賞授賞式。 92歳という年齢を感じさせない日本被団協の田中煕巳さんの講演は約20分間続き、講演終了後には会場の聴衆が立ち上がり、惜しみない拍手が鳴り響いた。 田中さんは講演の中で自身や家族が経験した長崎での被爆体験を語り、核兵器が存在することの恐ろしさを世界に問いかけた。講演は日本語で行われたが、同時通訳を聞いた出席者の中には、田中さんの被爆体験に涙を流す人もいた。 田中煕巳さんは「核兵器禁止条約」の普遍化と核兵器廃絶の国際条約の策定についても世界に訴えた。ノーベル平和賞授賞式という世界が平和について考える大舞台で、被爆者が核兵器廃絶について訴えることができたことは、核兵器の脅威が高まっていると言われる現代において、大きな意義があると私は感じた。
“命懸け”のオスロ訪問…テーマは「継承」
授賞式2日前の夜、授賞式に登壇する日本被団協の田中煕巳さん(92)、田中重光さん(84)、箕牧智之さん(82)がオスロ空港に到着した。取材に出向いた私には、ようやくオスロに着いた箕牧さんと田中重光さんが目頭を熱くしているように見えた。 日本からノルウェーへの直行便はなく、オスロまでは長崎や広島などの自宅から飛行機を乗り継いで2日以上かかかった人も多い。高齢の被爆者にとって、慣れない海外での滞在やオスロの氷点下の寒さはまさに「命懸け」、並大抵のことではなかったはずだ。 日本被団協にとってノーベル平和賞の授賞式は、これまでの活動や思いを若い世代に継承する絶好の機会。3人はオスロ滞在中、精力的に記者会見や講演などで声を上げ続けた。また登壇者以外の被爆者らも様々なイベントや集会に積極的に参加した。いまの若い世代は“被爆者の生の声を聞くことができる最後の世代”、核兵器廃絶の実現に向けて、若い世代に声を上げ続けてほしいという願いが込められていた。 ノルウェー・ノーベル委員会の担当者は、凍った道で転倒などしないよう「オスロ中から車椅子を集めた」と話し、日本から来る高齢者を気遣っていたほどだ。