大谷翔平のライバルだった“青森の天才”とは何者か? 2人の対決を見た関係者「大坂君の方が有名だった」「決勝で2人ともホームラン」あの怪物は今
怪物少年だった大坂「12歳の選択」
決勝は19–2で水沢パイレーツが大勝した。連投の禁止など投手に対する細かな投球制限がかけられているリトルリーグにおいては投手の頭数がものをいう。実質、一枚看板だった長者レッドソックスは、大坂が投げないと試合にならなかった。 全国大会も似たような結果になった。長者レッドソックスは大坂が登板した1回戦は九州代表の牛深リーグを接戦の末に下したが、続く準々決勝は大坂が投げられず、優勝候補の筆頭だった東京北砂リトルに2-39というラグビーのようなスコアで完敗を喫した。 東北、続く全国という初めての大舞台で大坂は敗れた。しかし、幸か不幸か、個人的に打ちのめされるような経験をしたわけではない。言い換えると、リトルリーグ時代、大坂は挫折という飛躍のためのバネを体内に蓄えることができなかった。 アメリカ発祥のリトルリーグは8月にチームが切り替わる。したがって選手たちは中1の夏を終えると、同系列のシニアリーグに進むか、地元中学の軟式野球部に所属することになる。 高校以降の選手生活を考えたら中学時代も硬式ボールを使い続けた方がメリットは大きい。しかし地方の場合、近くにシニアリーグのチームがなく、軟式野球部に入部せざるをえないケースも少なくない。大坂もそうだった。 大坂にとっては、このときの選択がひとつの岐路になった。大坂は地元の小中野中を経て、県内の強豪校、青森山田に進んだのだが、中1の夏以降、長者レッドソックスの「あの大坂」は完全に消えてしまった。 〈つづく〉 <記事で登場する大谷世代の人たち> ・大谷翔平:水沢パイレーツ(水沢リトル)→一関シニア→花巻東高 ・大坂智哉:長者レッドソックス(八戸リトル)→中学野球部→青森山田高 ・本間康暉:青森山田リトル→青森山田シニア→青森山田高 ・笹川裕二郎:福島リトル。のち仙台育英高→同志社大 ・京田陽太:青森山田高→日本大→中日→現・DeNA ・田村龍弘:光星学院高(八戸学院光星)→現・ロッテ ・北條史也:光星学院高(現八戸学院光星)→阪神→現・三菱重工West(社会人野球) ・城間竜兵:光星学院高(現八戸学院光星)→東北福祉大→現・パナソニック(社会人野球)
(「野ボール横丁」中村計 = 文)
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