大谷翔平のライバルだった“青森の天才”とは何者か? 2人の対決を見た関係者「大坂君の方が有名だった」「決勝で2人ともホームラン」あの怪物は今
17奪三振を見た大坂「なぜ驚かなかったのか」
リトルリーグの試合会場はホームベースから61メートルの距離のところに外野フェンスを設ける。次に試合を控えていた大坂は、フェンスの向こう側でアップをしながら、この快投を遠目に眺めていた。 ところが、大坂はさほど驚いてもいなかったという。 「青森に1人、すごい速いピッチャーがいたんです」 大坂が言う「1人」は、大坂を「バケモン」と表現した青森山田リトルの本間康暉だった。大坂にとっての本間もそれに近い感覚があった。 なにせ、当時やはり中1だった本間は身長は173、4cmで、体重は70kgを超えていた。細身な大谷より肉付きがよく、しかもさらに大きかったのだ。 本間はストレート一本槍だったが、球速だけなら大谷と遜色はなかった。登板すれば大抵、10個以上の三振を積み上げた。大坂はその本間からホームランを打っていた。その自信が大坂の小さな世界を支えていた。 大谷が衝撃的な勝利を飾った直後、大坂は優勝候補の一角と言われていた宮城の第一代表、仙台中央リトルを相手に1失点完投勝利を収めている。
決勝戦の目撃者「大坂君の方がすごかったと思う」
そして、いよいよ決勝を迎えた。ただ、両チームともひとつの山は準決勝だと踏んでいた。同大会の上位2チームに残れば、ひとまず全国大会の切符を手にすることができる。両チームともその権利を得ていたこともあり、決勝では大坂も大谷も登板しなかった。 野手として出場した2人は、この試合でともにホームランを記録している。2人のホームランを目撃した福島リトルの佐藤はこう述懐する。 「大谷君はものすごくヘッドスピードが速いというわけではなかったし、引っ張るというよりは反対方向にうまく打つ印象が強かったんです。打球スピードと飛距離でいうなら、大坂君の方がすごかったと思いますよ。通常サイズのフェンスにワンバウンドで到達するぐらい飛んでいましたから」 大谷との出会いを振り返るときの大坂は、決して自分の方が凄かったと誇示するわけではないが、かといって仰ぎ見るような素振りも見せなかった。 なので、一塁ベースで相対した大谷にホームランの数を尋ねたのはライバル心が湧いたからというほどのものではなく、軽い好奇心からだったようだ(本記事「第1回」参照)。大谷のホームラン数を聞いても驚かなかった理由を大坂はこう語る。 「もっと打ってる人、知ってたんで。宮城のチームの1つ年上の先輩だったんですけど、70本ぐらい打ってたんですよ」 リトルリーグにおけるホームラン数はチームが多い宮城や岩手の選手の方が有利だった。そのぶん、年間の試合数も多いからだ。そもそもリトルリーグはフェンスが近いので、力さえあれば割と簡単にホームランは出る。大坂はホームラン数が選手の優劣を示す絶対的指標ではないことにうすうす勘付いてもいた。
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