一度も出されなかった警戒宣言 「地震予知」計画はなぜ失敗したか?
大きな期待を背負って半世紀前に取り組みが始まった「地震予知」。地震列島の日本にとって、大地震の発生を予見して防災対応することは宿願でした。しかし、その前提が大きく転換することになりました。地震予知はなぜうまく行かなかったのか。地震学者の島村英紀・武蔵野学院大学特任教授に寄稿してもらいました。 【図】中央構造線で体験した“最初の地震” やっぱり難しい? 地震予知
◇ 「地震予知を前提とする防災対策を見直す」とのニュースが先月末、朝日新聞など各紙に報じられました。 これは南海トラフ沿いで起きる大規模地震の予測可能性を審議していた政府の「中央防災会議」の調査部会が8月21日、「大規模地震対策特別措置法」(大震法)に基づく現行の東海地震の予知体制が前提としている確度の高い地震予測について「現時点ではできない」と明記した報告書案を大筋で了承したことを報じたものです。
1965年にスタートした地震予知の国家計画
この「地震予知はできない」ということを政府の委員会が了承したことは、政府が科学的な事実に屈服したことを意味します。いままで多くの予算を使い、人々に多大の期待を持たせながら、ついに政府や気象庁が白旗を掲げざるを得なくなったのです。 日本で国家計画としての地震予知計画が発足したのは1965(昭和40)年。以後、半世紀以上にわたって、日本に起きた多くの大地震で、一度も地震予知に成功したことはありません。 近年でも、6400人以上が犠牲になった阪神淡路大震災(1995年)や2万人近い犠牲者を生んでしまった東日本大震災(2011年)といった大地震のときにも、地震予知ができずに大きな災害になってしまいました。 実は、これらの大震災の後でも、気象庁のホームページにも堂々と「東海地震だけは予知できる」と書いてありました。大震法の対象である東海地震だけは別だと言いたかったのでしょう。なお、このホームページは、その後、削除されています。
世界各国で報告された有望な「前兆」現象
地震予知はいまから30年以上前には、未来がバラ色に見えていました。世界各国で前兆現象が報告され、日本でも世界各地で開発されたさまざまな手法を使って、地震後の報告ながら、有望な前兆現象がいくつも挙げられていたのです。1978(昭和53)年に大震法が作られたのも、これを背景にしていました。 しかし、この法律成立の当初から、科学的には強い疑いがありました。それは、そもそも地下で起きる地震や火山噴火についての物理学的な方程式が、まだ得られていないからなのです。地下で地震の準備が進んでいくときに、なにが起きているのか、どんなときになぜ、どんな前兆が出るのかは、まったく分かっていないのです。 その意味では「大気の運動方程式」がすでに分かっていて、それを適用している天気予報とは大いに違うのです。 方程式が得られていないために、「次善の策」として、前兆現象の収集が始まったわけですが、有望だと見られた前兆現象が、観測を続けるうちに、ことごとく、当初の期待に背くことになってしまったのです。 たとえば大地震の前に地下水中の化学成分が変化することが旧ソ連の中央アジアで報告されましたが、その後、観測を続けると、同じような変化があっても地震がなかったり、同じような地震が来ても、何の変化もなかったりしたのです。ほかの前兆現象も同じでした。また、かつて1978年に起きた伊豆大島近海地震のときに毎日新聞の一面トップを飾った伊豆半島・中伊豆町の井戸水のラドン量の前兆変化の測定も、その後、観測を続けましたが、はかばかしい成果は出ませんでした。 こうして、かつて報告された前兆とは、たまたま大地震の前に起きただけの、関係がない別の現象を前兆だと思ったことが明らかになってしまったのです。