体操の内村航平が引退会見(全文1)本気で選手としてやっていくのは厳しいと感じた
体操人生の中で最も熱く盛り上がった瞬間は
テレビ朝日:ありがとうございます。そして、これまでの体操人生の中で最も熱く盛り上がった瞬間、いつの演技になりますでしょうか。そしてその理由も教えてください。 内村:2つあります。2011年、東京でやった世界選手権の個人総合決勝、全6種目と、リオオリンピックの個人総合の鉄棒ですね。それは今でも感覚とか、見た視界とかが記憶に残ってて。2011年の世界選手権はもう今まで感じたことないぐらいのゾーンを感じて。朝起きる2~3分前、もうすぐ目覚めるなみたいなときがあるじゃないですか。それぐらいから、もう今日は何をやってもうまくいくっていう感覚で目覚めて、試合が終わるまで全て自分の思いどおりにいったっていう感覚があって。あれはもう一生出せないっていうのをそこで、これはもう一生出ないなっていうのを感じたし、ここまで自分の思いどおりにいくことは、もうないかなっていうぐらいすごい日でした。 あとリオオリンピックの鉄棒に関しては、あれだけの点差を逆転できたっていうのもそうなんですけど、やっぱりオリンピックの体操の歴史にも残せる激闘をオレグ選手と、あのオリンピックの会場を2人で支配できたっていう雰囲気を感じれたのが、すごく今でも記憶に残っているので、その2つは絶対にもう今後味わえないだろうなっていうのを、そこで感じていましたね。
引退試合をしようと思った理由は
テレビ朝日:ありがとうございます。そして3月12日の引退試合をご自身でやろうと思った理由を教えていただけますでしょうか。 内村:もともとは2年前の3月に、自分の名前の試合をやろうとして、コロナでできなくなってしまって、で、それをまたやりたいと思ってたんですけど、そんな中で、僕ももう、現役最後になるので、試合としてはちょっと難しいっていう判断をしたので、じゃあそこで今まで体操選手が引退するときに、引退試合というか、そういう最後の舞台をやった選手はいなかったので、そういう場を自分でつくってやるっていう。 なんかこれを引退していく選手たちにはスタンダードみたいな、目標にもしてもらいたいっていうのがあったので、なかなかみんなできることじゃないと思いますけど、これだけ結果を残して、体操をやっていけたら、こういうこともできるんだよっていうのをみんなにも伝えたかったっていうのと、やっぱり僕自身はもう、オールラウンダーっていうのでずっとやってきたので、やっぱり本当に最後の最後、6種目をやって終わりたいっていう気持ちがあったので、そうしたいなと思って、やろうかなと思いました。 テレビ朝日:引退を決意したあとに、また練習で追い込んで6種目やるっていうのは、相当つらいことだと思うんですけれども、そこにあえて、その6種目に、最後の最後にこだわったっていう思いっていうのはどんなものなんでしょうか。 内村:やっぱり、やりたくても、やっぱり6種目でもう代表が目指せないから鉄棒で目指しただけであって、僕としてはやっぱり、どんな状態でも6種目は絶対やっていきたい、やりたいっていう気持ちがあったので、だから、今回の東京オリンピックを目指すまでの過程が、今まで皆さんが見てきてない部分なだけであって、僕は常に6種目はやりたいと思ったし、練習もやっていたので、やることは普通だと思っているんですよ。もちろん、きついことも分かってるんですけど、やっぱり体操は6種目やってこそっていう気持ちもあるし、やっぱり後輩たちもそこはずっと受け継いでいってほしいところでもあるので。あと、心底好きだからっていうところがあるので、なんか最後鉄棒だけやって終わるっていうのも、なんか自分としては自分が自分じゃないような感じがするので、やっぱり6種目やってこそっていう思いが強いですね。