「富士山噴火」で起きる「火砕流」とすさまじい破壊力の「火砕サージ」…もし襲われたら「即死」の恐怖
日本でも「火砕サージ」は観測されていた
火砕サージが人々の暮らす間近で観測されたことがある。1991年9月15日、雲仙普賢岳で発生した火砕流にともなって火砕サージが発生し、南東にある大野の木場地区のほうへ流れた。火砕流の本体から密度の軽い部分が分離して、火砕サージとなって直進したのである。 これによって大野木場小学校が焼失したが、幸い生徒と付近の住民はすでに避難していたので一人の犠牲者も出なかった。 このときに残されていた火砕サージ堆積物も、厚さはわずか5センチメートルほどと、きわめて薄いものでしかなかった。にもかかわらず、温度は摂氏400度を超す高温で、木やプラスチックでできたものはすべて焼け焦げていた。 雲仙普賢岳の火砕流にともなって発生した火砕サージは、火砕流の先端や側方にできる高温で激しい横なぐり状態の部分と考えられている。
富士山が噴出した火砕流と火砕サージ
富士山は、過去に火砕流と火砕サージを何回も発生させている。だが、実は研究者のあいだでは、富士山のような主に玄武岩の溶岩を噴出する火山は火砕流を噴出することがない、と思われてきた。 たしかに火砕流は、流紋岩から安山岩までの化学組成をもつ粘り気の大きいマグマの噴火でよく見られる現象である。しかし近年、富士山麓で詳細な地質調査が行われた結果、富士山の斜面にいくつもの火砕流堆積物が見つかった。1万年という時間の尺度では、富士山は過去に、何回も火砕流を噴出していたのである。 富士山の北斜面の滝沢では、1700~1500年ほど前の火砕流堆積物が見つかった。これを滝沢火砕流という。厚さ5メートルを超すような堆積物の中には、まっ黒に焼け焦げた木片が入っていた。また、高温であったことを示す赤色の酸化現象が、堆積物の上部に認められた。これらの堆積物は、火砕流が山頂付近から沢に沿って標高1200メートルほどまで流れ下ってできたものである。富士山から噴出した火砕流としては最大規模といえよう。 このほか富士山の西斜面と南西斜面(大沢)にも火砕流堆積物が確認された。こちら側の火砕流も山頂の近くで発生し、標高1000メートル付近まで流れ下っていたことが判明した。これを大沢火砕流という。 くわしい地質調査から、富士山では過去3200年のあいだに、10回以上も火砕流が発生していたことが明らかになった。すなわち、玄武岩質の巨大な成層火山が、しばしば火砕流を噴出しながら成長していたのである。 滝沢火砕流と大沢火砕流の堆積物の特徴からは、火砕流の噴出源がかなり高所にあったことがわかる。おそらく標高3000メートル付近の急斜面上で割れ目噴火が起こり、堆積した噴出物が斜面にとどまることができずに、高速で谷沿いに流れ下ったものと考えられる。たとえば、急斜面にいったんスコリアからなる火砕丘が形成され、これが崩壊して火砕流を発生させた可能性がある。 このほかの方角の斜面でも、高温で流れ下った火砕流堆積物が確認されている。また、山麓で掘られたボーリングの試料からも火砕流堆積物が複数確認されている。 これらの事実から、過去には富士山の全周で火砕流が流下していたと考えられる。したがって、富士山の火山防災では、火砕流と火砕サージに対しても十分に準備しておく必要があるのだ。