新宿二丁目の“深夜食堂”54年目に閉店を決意ーー名物ママ、りっちゃんが思う人生の引き際 #ydocs
54年目ついに閉店を決断
しかし、そんな新宿二丁目の名物店にもその日はやってきた。 1970(昭和45)年のオープン以来、二人三脚でこの街に流れついた人々の心を癒してきた昭和の名残を残すクインが、2023年9月末で53年の歴史に幕を閉じることになったのだ。 理由は、夫婦の体力の限界だ。 記録的猛暑となった2023年8月のある日、孝道さんが倒れて救急車で病院に運ばれて、数日間、臨時休業を余儀なくされたことがあった。元気そうに見えるりっちゃんも、実は坐骨神経痛を患っていて、足腰が日に日に悪化していた。 常連客たちは「辞めないでほしい」と声を上げ、中には涙する人もいた。しかし、りっちゃんの決意は固かった。 「役者は舞台に上がると痛いだの辛いだの言わず役をまっとうしてるだろ。それと同じ。俺にとってお店は舞台。クインのママを演じなきゃいけない。普段の『律子』とクインの『りっちゃん』。同じだけど、別なんだ」 世界のホームラン王・王貞治さんは引退した年にも良い成績を残したが、それでも自分が描くホームランを打つことができなくなったという理由で引退を決めたという。もしかしたら、りっちゃんも同じなのかもしれない。 周りがなんと言おうとも、自分が理想とする「ママとしての振る舞い」ができなくなったと感じたのではないだろうか。
街の繁栄とともに深夜食堂に…
福岡の小倉で育ったりっちゃんは、ひと足先に上京していた9歳上の姉に誘われ、18歳で東京にやってきた。その姉が営んでいた喫茶店の常連客だったのが孝道さんだ。 23歳で結婚すると、25歳の時にクインをオープンした。オープン当初は午前11時~午後8時までの営業。客のほとんどはビジネスマンだった。 新宿二丁目はかつて、「新宿遊廓」という色街だった。しかし1957年(昭和32年)に売春防止法が施行されて以降、夜は人気のないゴーストタウンのような場所になっていたという。 しかし、「賃料も安く敷金・礼金・仲介手数料もゼロ」という不動産屋の謳い文句に飛びついた人々が小さい飲み屋を開くと、1968年に華やかなショーを売りにした女性厳禁のショーパブ「白い部屋」がオープン。 時代がバブル景気を迎えるころには、新宿二丁目は一気に賑やかな街へと変貌していた。 しかし、そんな賑やかな街に足りなかったのが深夜に食事を提供する店。クインは常連の人の出前注文を受けていたが、そのことが次第に口コミで広がったため、営業時間を昼間から深夜へとシフトすることにしたのだという。