カメラ売れない時代 赤城耕一さんに聞く写真と人々の「いま」
人によって異なるものの見方が面白い
赤城さんは大阪で写真展「録々」を開催したが、中判フィルムカメラと一部デジタルカメラも使用し日常目にした一見何の変哲もない風景を淡々と正方形の画面に切り撮っている。 「正方形のフォーマットは単純に『これを見てくれ』っていうものを画面の真ん中に置くだけで写真として成立するところが好きです。正方形に撮れるフィルムを使う中判カメラがメインですが、一部デジタルカメラを使ってあとでトリミングしたり、撮影時に最初から正方形に表示させて撮ったりもしましたけど、出来上がった写真を見てどれも違和感がなく同じような感じの写真が撮れてる。シャッターを切る意識は、フィルムでもデジタルでもあまり変わらないんですね」 写真にとって技術的なことも大事ではあるが、面白いのは人によって異なるものの見方ではないか、という。 「光や時間、レンズ……いろいろな条件によって普通に見える景色が違う世界に見えることがあります。あるいは同じ日に同じ場所、同じ条件で撮っても人によって見方が異なったりもします。“カメラとレンズが翻訳してくれた世界”が撮れると楽しいですね。写真家の高梨豊さんは『このどぶ板をひっぱがして持ち帰ることができないから写真を撮る』と言ったけど、撮ることで所有するという写真の役割ってあります。写っているものがいかに自分にとって魅力があるものか写真で見て納得したい、そういう意識から写真は出てきているところがあります。星景でも電車でも飛行機でも、星座の名前や電車の型、飛行機の型を知らなくても良い写真は良い写真だってわかるじゃないですか。名前や型が記録として重要な場合もあるけど、被写体が美しく魅力的に見える、そこは星や鉄道や航空機が趣味じゃなくても感じられます。カメラを通して自分の世の中の見方だって変えることができる。写真の大きな魅力だと思います」
「カメラが小さくて可愛くていいらしいですよ」
最近赤城さんが大阪で立ち寄ったカメラ店で、初心者らしき女性がフィルムカメラを買って店員にフィルムを入れてもらっている場面に遭遇したという。 「あとでその店員さんと話したら『カメラが小さくて可愛くていいらしいですよ』って。可愛いって言ってもらってカメラ買ってもらうのはいいことで、写真人口が増えるのは嬉しいことです。私は40年商売で写真をやってきて考えが硬直している部分があっていつも反省しているんですが、ひとつの価値観に囚われず自由でありたいですよね。写真にはいろいろな方法論があって、いろいろな撮り方、見方がある。そこが楽しいところです」 写真はこれからも時代と寄り添いながら多様性の中で生き続けるものなのだろう。 (文・志和浩司) ■赤城耕一(あかぎ・こういち)/写真家 1961年、東京生まれ。キャリア初期はグラフ誌や週刊誌のドキュメンタリー、ルポを担当し、コマーシャルではポートレートを撮影。雑誌など写真・カメラ関連メディアではカメラメカニズムの論評からHOW TOまで幅広く執筆し、ワークショップ、芸術系大学、専門学校などで講義も行う。著書に「定番カメラの名品レンズ」(小学館)、「ズームレンズは捨てなさい!」(玄光社)、「赤城写真機診療所 MarkII」(玄光社)、「フィルムカメラ放蕩記」(ホビージャパン)など多数。1月27日~リコーイメージングスクエア大阪にて写真展「録々」開催(2月7日までの予定だったが新型コロナウイルスの影響により会期途中で中止)