ラグビー・フィーバーから学ぶべきもの――闘う男たちと日本文化
日本人が忘れていた闘いの美学
激しい肉弾戦が展開されたラグビー・ワールドカップ。しかし闘いが終われば、その巨大で強靭な肉体をもつ男たちはみな優しく温和で物静かな紳士であり、激しい闘いがあるからこその美しさがあった。 しばらくのあいだ日本人は「引きこもり、イジメ、セクハラ、パワハラ、子どもや高齢者を狙う事件」といった、うんざりするようなマスコミ報道を忘却しえたのではないか。こういった事件を知らされると、戦後の、とにかく平和主義で、個人の自由を主張し、暴力を絶対否定するというイデオロギーの限界を感じてならなかった。もちろん戦争や暴力を肯定するわけではないが、人間とその集団には闘いが必要なのかもしれない。「団結して闘う男たち」の姿にこそ、本当の愛情、優しさ、思いやりが姿を現したのだ。 また今回の日本チームがとった特長的な戦術は「オフロードパス」という相手にタックルされながらパスをする、少々リスクを伴う作戦であった。ヘッドコーチのジェイミー・ジョセフは「日本人はミスを恐れてリスクを取りたがらない。それこそがミスだ!」と、この作戦を徹底的に訓練してきた。こうした勝負ごとのリアリズムも、最近の日本人が忘れていたものではないか。
地方のおもてなしと外国人ラガー
しかしなんといっても、日本チームの活躍もさることながら、今回もっとも注目すべきことは、外国チームに対する各地の歓迎いわゆる「おもてなし」であり、それに対するラガーたちの感謝の表現である。 日頃あまり見慣れない恐ろしげな風貌の巨漢たちを迎えた地方の人々は、蕎麦打ちや、餅つきや、寿司をにぎるといった文化を紹介し参加させ、少年たちはしっかり練習したハカを披露し、相手国の国歌を熱唱した。感動した外国チームは、各地のおもてなしに強い謝意を表し、被災地でのボランティアに参加するチームもあった。ワールドラグビーの会長は「史上最高の大会」と絶賛し、世界の特に英連邦圏のマスコミも賛美の辞を惜しまなかった。 日本人は、特に地方の日本人は、素朴に闘う男たちが好きなのだ。彼らはグローバルな知識をもつビジネスマンでもなく、金にモノをいわせる観光客でもない。ラガーたちの素朴な精神が、昔ながらの郷土とその文化を愛する地方精神に合致したのだろう。人々はITやAIという言葉に疲れ、無意識のアレルギーを感じていた。それとは無縁の肉体をもって闘う男たちの、情報でも金融でもエンタメでもない、生身の人間のグローバリズムに惹かれたのだ。海外から来たラガーたちも、日本のハイテクにではなく、各地に残る素朴な文化と郷土愛に感動したのだ。