「カシミール紛争」再び? インドとパキスタン対立の歴史
第3次印パ戦争後、大規模戦闘は影を潜めていた
インドとパキスタンは、1947年にそれぞれイギリスの植民地支配から独立して以来、犬猿の仲にあります。植民地時代、インドとパキスタンは一体のものでしたが、独立段階でイスラム教徒の多かったパキスタンがヒンドゥー教徒中心のインドから分裂した経緯があります。 この対立に拍車をかけたのが、カシミール地方の領有問題でした。カシミア羊の原産地としても知られるこの地の領有権をめぐり、独立直後の1947年にインドとパキスタンは初めて衝突(第一次印パ戦争)。発足から間もない国際連合の調停により、停戦ラインが引かれてカシミールは分割されましたが、その後も両国は第二次印パ戦争(1965~66)、バングラデシュ独立をめぐる第三次印パ戦争(1971)などで戦火を交えてきました。 しかし、カシミールをめぐる対立は解決に至っていないものの、大規模な戦闘は、第三次印パ戦争後、影を潜めました。国連は1949年からカシミールに平和維持部隊を駐留させており、第三次印パ戦争後の1972年、国連の調停によってインド・パキスタン管理ライン(LOC)が設定されたのです。両国は1999年、LOC沿いに軍事衝突に至りましたが、今回、インド、パキスタンの両軍機がLOCを超えて活動したことは、1972年以来、初めてのことです。それだけ、今回の衝突は深刻といえます。
緊張に拍車かける「核保有国」同士の対立
この緊張に拍車をかけているのは、両国が核兵器を保有していることです。 先述のように、インドとパキスタンは独立以来、お互いを敵視し、少しでも相手より軍事的に優位に立とうとしてきました。 その上、インドの場合、パキスタンを支援する中国との間での中印戦争(1959~62)で中国に敗北。その直後、中国が核開発に成功したこともあり、インドも核開発を加速させ、それに競うようにパキスタンも核開発に向かったのです。その結果、1998年に両国は、それぞれ核開発の成功を発表するに至りました。 ただし、インドとパキスタンの場合、北朝鮮の核保有とは事情が異なります。北朝鮮の場合、1968年に結ばれた、それまでに核開発に成功していた国(米・ソ・英・仏・中)だけに核保有を認める核不拡散条約(NPT)に署名しながら、その裏で核開発を進めた点で悪質です。これに対して、インドとパキスタンはNPTに署名しておらず、その意味で両国の核保有は、国際法上違法ではありません。 さらに、インドとパキスタンの核保有は、基本的にお互いを標的にしたもので、その他の国にはほとんど関係ないものでした。そのため、両国の核保有は国際的に、いわば大目に見られてきたのです。 その結果、現在ではインドが130~140発、パキスタンが90~110発の核弾頭を保有しているとみられます。