「薬草料理」ってどんな味? 岐阜・飛騨市で納涼会席を!
今回の料理のなかで唯一、薬草っぽい色をした深緑の豆腐。口にしてみると、なめらかな舌触り、かすかな苦みとともに口中に広がるコクがたまらない。皮膚によいとされる「スベリヒユ」のヌメりのあるお浸しなど、酒の肴にもなりそうだ。 そのほか、薬草の天ぷら、飛騨牛の豆乳鍋など、おどろおどろしいものはひとつもなく、すべておいしくいただいてしまって、いい意味で拍子抜けであった。
ただの雑草を薬草に変えた、広島出身の薬学博士
それにしても、飛騨市はどうして官民一体で薬草の活用に取り組んでいるのだろう。もともとそうした素地はあったのだろうか。デザートのシソゼリーをいただきながら女将さんに伺ったところ、「昔の人ならともかく、私たちにとっても10年くらい前までは薬草は『ただの雑草』でした」という意外な答えが返ってきた。
大きな病院などなかった先々代の時代は、もっと薬草が身近で、お茶にしたり食事に入れたりはしていたらしい。学校に子供たちが薬草を持っていくと「富山の薬売り」が買ってくれたという逸話もあるそうだ。しかし西洋医学の普及とともに、次第にこのあたりでも薬草文化は廃(すた)れていった。 「ただの雑草」に成り下がった薬草が見直され、その名誉がV字回復を遂げたのは、25年前のできごとがきっかけだった。飛騨市が当時、徳島大学の薬学博士だった村上光太郎さんに地元薬草の調査を依頼したのだ。結果、飛騨には245種類もの薬草があることが判明した。面積の9割以上を森林が占める飛騨市には落葉樹が多く、その落ち葉が栄養分となったミネラル豊富な土壌があるため、飛騨の薬草にはミネラル分が多いのだという。 ミネラルは5大栄養素のひとつとされ、人間にとって大事なものだが、現代人は常にミネラル不足だ。薬草はそれを補う力を持っている。飛騨市の人びとは、サプリメントなどに頼ることなく、身近な薬草でミネラル摂取ができるのだ。 薬草で日本を元気にする「全国薬草ビレッジ構想」を持っていた村上さんは、以来、何度も薬草の豊富な飛騨市にやってきては市民グループに指導をした。住民の間でも次第に薬草が見直され、生活に取り入れ始めた。前述の蕪水亭はじめ、市内で薬草をつかった商品を販売したり、薬草料理を出したりする店が増えていったという。