3街道交わる江戸時代の宿場町で歴史旅を 造り酒屋、首地蔵‥ 宝塚・小浜宿 関西の路地
一方、同館の敷地内には「玉の井戸」がある。豊臣秀吉が有馬湯治で近くに泊まった際、この井戸からくんだ水で、千利休が茶をたてたといわれている。
館内では小浜の歴史や見どころを紹介するビデオ上映も。小島さんは「地元でも小浜のことを知らない方が多いと思う。ぜひ来てほしい」と呼びかけている。
■いくつもの面影
同館を出発し、次に向かったのが隣接する浄土真宗本願寺派の寺院で〝小浜御坊〟とも称された「毫摂寺(ごうしょうじ)」=同②。明応(めいおう)年間(15世紀末)に建立され、小浜はその寺内町として発展した。四方を壁に囲まれたその境内は広く、大きく立派な本堂は圧巻だった。
毫摂寺から西へ少し歩くと細い下り坂となり、途中の高台に静かにたたずんでいるのが「首地蔵」だ=同③。大きな頭部が2体並ぶ異様な風景だったが、地元では首から上の病気に御利益があるとして知られており、最近では「頭が良くなる」とされ、受験生のお参りも増えているという。高台の下には谷風岩五郎の墓もある=同④。
そこから北へと歩を進めると、小浜皇大神社の立派な大鳥居が姿を現す=同⑤。創建は嘉吉元(1441)年と伝わる天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)と天児屋根命(あめのこやねのみこと)を祭神とする神社で、本殿は県登録文化財に指定されている。
小浜皇大神社から東に向かう通りには代官所跡や旅籠(はたご)跡などのほか、いくつもの行燈(あんどん)があり、宿場町としの面影を今に残している。
この通りには「菊仁」という造り酒屋で、阪神大震災から倒壊を逃れた江戸時代の貴重な建物があり、かつて小浜では酒造りも盛んだったこともしのばせる=同⑥。
最後に小浜の北に位置し、江戸時代の民家を今に伝える貴重な歴史遺産として無料開放されている「旧和田家住宅」を訪れた=同⑦。「摂津・丹波型」と呼ばれる妻入角屋本瓦葺の住宅で、市内最古の民家遺構の一つとされている。ここにも常勤スタッフがいて、建物の間取りと特色を説明してくれる。
15世紀末には毫摂寺の寺内町として栄え、江戸時代になってからは京伏見街道、西宮街道、有馬街道が交わる宿場町「小浜宿」としてにぎわい、現在もその面影を残す小浜。そんな地で歴史とのふれあいを楽しんでみてはいかがだろうか。(香西広豊)