マルコム・グラッドウェルが語る『ティッピング・ポイント』の25年後
昔の自分を見つめ直す
『ティッピング・ポイント』の中心にあったのは、犯罪傾向から足元のファッションまで、あらゆる社会的なトレンドがまるでウイルスのように流行していくというアイデアだ。最初はゆっくり広がっていき、そして急に爆発的な勢いで蔓延する。 グラッドウェルはいまも同じ考えだが、彼が持論を説明するために使ったエピソードの一部は、きわめて古いものになっている。犯罪に関する章はグラッドウェルいわく、「いま読むと恥ずかしい」。 当時のグラッドウェルは、1990年代のニューヨーク市で犯罪率が低下した原因は、「割れ窓理論」に基づく犯罪防止策だと書いている。「割れ窓理論」とは、街の落書きや無賃乗車といった小さな犯罪をきちんと取り締まることで、重大な犯罪の発生率も下げられるというものだ。 しかし、いまを生きる私たちは、犯罪率の低下が「割れ窓理論」によるものではないと知っている。というのも2010年代、職務質問などの施策が廃止されていたにもかかわらず、犯罪率はなぜか再び低下したからだ。それどころか、低所得者やマイノリティの人々への過度な取り締まりが増加し、有色人種のニューヨーカーたちが大量に投獄されることとなった。 グラッドウェルは、「過去の自分の間違いを知ることは、ひそかな喜びでした」と語る。彼は英国生まれの数学者だった父グレアムをはじめ、新しいことを学ぶたびに古い考えをきっぱり捨て去ることのできる人々を尊敬している。 「私たちは前に進み続けなければいけません。世界は私たちの周りで動き続け、私たちは日々新しいことを学んでいくのですから。1999年に書いた本の横に立ってじっとしているわけにはいかないのです」とグラッドウェルは言う。 「世界のあり方をとらえようと本を書く作家たちにとって、25年ごとに過去に立ち返り、昔の自分の考え方を見つめ直すのはいいアイデアだと思います」
25年前は「楽観主義」の時代だった
『ティッピング・ポイント』が出版されたとき、グラッドウェルは米誌「ニューヨーカー」のライターで、自称「36歳の世捨て人」だった。『ティッピング・ポイント』のアドバンス(印税前払い金)は100万~150万ドル(約1億5000万~約2億3000万円)だといわれている。「はっきり覚えていませんね……。でも、天文学的な数字だったのは確かです」とグラッドウェルは照れくさそうに言う。 彼はカナダのエルマイラにあるメノナイト派(キリスト教アナバプテストの教派)の町で育った。父グレアムは近くの大学で教壇に立ち、ジャマイカ人の母は心理療法士として働いていた。ニューヨークの文壇は、グラッドウェルにとって未知の世界だった。「当時はすべてがクレイジーで、事態を飲み込むまでに時間がかかりました」とグラッドウェルは振り返る。 『ティッピング・ポイント』はすぐにヒットしたわけではなかった。しかし2003年、当時の米国国防長官ドナルド・ラムズフェルドが米国のイラク侵攻について語る際、「ティッピング・ポイント」という語を繰り返し使ったことに対し、「ニューヨーク・タイムズ」紙は、グラッドウェルがすでに流行させていたこの言葉が「今年の強力なクリシェ」だと大きく報じた。 グラッドウェルは、本書の成功の原因は幸運と自らの努力だと言う。4年もの歳月をかけて本書のイベントを巡業した彼は、「膨大な時間、それも不健康な時間を費やして自分の本について語れば、いつかは世間に認められる時が来ます」と語る。 またグラッドウェルは、本書の中心となる「美しい」アイデアが、当時の社会特有の楽観主義と一致していたことも、成功の一因だと考えている。 「冷戦も終わり、ニューヨークをはじめ、米国の多くの都市が急に安全な場所に変わった時期でした。コカインブームや10代の少女の妊娠など、80年代から90年代にかけて世間を騒がせていた社会問題も減っていきました。だからこそ人々は、なぜ事態が急に好転したのか、その説明を求めていたのだと思います」