[懐かし名車旧車] いすゞ ベレット1600GT(1964-):エレガントにして俊足。国産車で初めて“GT”を名乗った2ドアクーペ
サーキットでも証明されたベレットの実力は、いすゞの技術の高さを証明
いすゞの技術力が当時の最先端レベルにあったことに、疑う余地はない。それは数々のレースでの戦績も証明している。登場当初から幾多のモータースポーツに参戦して優れたハンドリングを見せつけたベレットは、1964年の1600GTの登場後は多くのイベントで勝利を重ね、「ベレG」の名を不動のものにした。 1969年には、開発中のDOHCをチューニングしたエンジンを搭載するプロトタイプレーシングカー・ベレットGTXで鈴鹿12時間レースに参戦。スカイラインGT-Rなどの国産車勢のみならず、純レーシングカーのポルシェカレラ6を抑えての総合優勝もしている。 同年の日本GPには、同エンジンをリヤミッドに搭載するグループ6スポーツプロトタイプレーシングカー・ベレットR6も参戦している。そのエンジンを搭載したベレットGTRが、生まれながらの悍馬としてファンの喝采を浴びたのも当然のことだろう。 さらに多くの人の度肝を抜いたのが、ベレットMX1600だ。当時のグループ4カテゴリーでのレース参戦を目指し、ごく少数ながら市販前提で開発されたそれは、デトマソバンテーラを手がけたトム・ジャーダの手になる、正真正銘のミッドシップスーパーカーだった。 MX1600は、1969年と1970年の東京モーターショーに出展され、市販間近とまで報じられたが、結局、実現することはなかった。この時代になると、いすゞの乗用車事業は完全に行き詰まり、施行が決まった排ガス規制に対応する投資さえ、難しくなっていたのだ。 いかに高度な技術を持ち、高性能なクルマを造ることができても、それを売る技術が伴わなければビジネスにはならない。その厳しい現実を乗り越えるために、いすゞは1971年にGMと資本提携。ベレットの生産終了翌年の1974年、待望の後継車となるジェミニを送り出す。 GMグループのオペル カデットをベースに、いすゞらしいトルクの太いエンジンを搭載したFR駆動のジェミニは、ふたたび欧州車テイストの走りでファを喜ばせ、1979年にはDOHCエンジンのZZも加えて好評を得る。 ただし、やはりその後も、技術に商売は追いつかなかった。紆余曲折の末、2002年にいすゞは乗用車事業から完全撤退。創業以来の姿であるトラックメーカーとして、世界で存在感を示す道を選ぶのだ。ちなみに、ベレットの生産台数は足かけ11年で17万台あまり。うちGT系が約1割。目の肥えたファンには愛された名車も、大衆に支持されたとは言い難かった。