[懐かし名車旧車] いすゞ ベレット1600GT(1964-):エレガントにして俊足。国産車で初めて“GT”を名乗った2ドアクーペ
1960年代、いすゞはOEM車ヒルマンの生産が終了しても、新たに操業が予定されていた藤沢工場の生産ラインが空かないようにと、ベレット(社内開発コード=SX)の開発を急ピッチで進めていた。ベレット開発には排気量1000~1500㏄クラス、ディーゼルエンジンも搭載可能などいくつかの決めごとがあったが、ベレルの反省をもとに、生産性のいいデザインも要求された。そんな厳しい条件の下、開発陣は卵をイメージした楕円曲面のボディラインや傾斜を持たせたセンターピラーなど、今までの乗用車とはひと味違ったデザインに挑戦。ベレットの美しいシルエットは、国産乗用車デザインの傑作のひとつだ。 【画像】いすゞ ベレット1600GT〈懐かし名車旧車〉
ベレルの経験をもとに、欧州車を手本に挑んだデザインやメカニズム
明治以降の日本の近代化を牽引したのは、政府が後押しする国策企業。その仕事の中心は、富国強兵の旗印の下で、軍が資金を出すプロジェクトだった。いすゞ自動車の前身も、帝国海軍の軍艦を数多く建造した東京石川島造船所。さらに辿れば、ペリーの黒船来航に対抗するために、徳川幕府が設立した造船所まで遡ることができる名門だ。 1900年代初頭には、米英に次ぐ世界第3位の造船王国となった高度な設計、製造技術を活かして、1916年に始めたのが自動車の開発だ。英国のウーズレーと提携して、1922年には第1号車が完成している。 もっとも、船の建造と同様に、ほとんど手作りとあってはビジネスにはならず、1926年までに100台余りが売れたに過ぎない。それでも、1929年には自動車部門が独立して、石川島自動車製造所が設立される。それを後押ししたのは陸軍だった。 当時、すでにフォードとGMが日本に組立工場を設立し、自動車販売を拡大していた。海軍が後ろ楯となった造船業と同様に、陸軍には、米国車に技術と市場を席巻されていては、有事の際に軍用車を賄えないという危機感もあったのだろう。 そうして、欧米列強に追いつけ追い越せと技術を磨き、1932年に、鉄道省などと共同開発した商工省標準形式自動車と呼ばれるバスとトラックの車名として初めて使われたのが、「いすゞ」の名だ。1933年には欧米でもまだ発展途上だったディーゼルエンジンの研究を始め、1936年にそれを完成させている。