「1浪中央大学→銀行に就職」その後医学部に受かった彼の奮起。「医学部は無理だよ…」の悔しい言葉がバネに
浪人という選択を取る人が20年前と比べて1/2になっている現在。「浪人してでもこういう大学に行きたい」という人が減っている中で、浪人はどう人を変えるのでしょうか? また、浪人したことによってどんなことが起こるのでしょうか? 自身も9年の浪人生活を経て早稲田大学に合格した経験のある濱井正吾氏が、いろんな浪人経験者にインタビューをし、その道を選んでよかったことや頑張れた理由などを追求していきます。 今回は、1浪して中央大学商学部に入学。卒業してから地元の静岡県の銀行で4年間勤務したあと、2浪して私立大学医学部に合格したMJさん(仮名)にお話を伺いました。 【写真で見る】医学部入学後のMJさんの写真。MJさんの幼いころの作文も。
著者フォローをすると、連載の新しい記事が公開されたときにお知らせメールが届きます。 ■27歳から2浪で医学部合格 今回お話を聞いたMJさん(仮名)は、27歳から2浪して、私立大学の医学部に合格しました。 1浪して中央大学の文系学部に入学したMJさんは、地元の銀行で4年間のサラリーマン生活を送ります。 世間で「王道」とされるルートを通ってきた彼ですが、27歳のときに医学部に行くことを決意し、浪人生活を始めました。
彼を医学部再受験に駆り立てたものはなんだったのか。そして、彼の浪人生活を支えた「力の源」とは。文系からの「医学部受験」のリアルに迫っていきます。 MJさんは、静岡県浜松市に3兄弟の長男として生まれ育ちました。父親はサラリーマンで、母親はパートとして働いていました。 MJさんは母の勧めで小学校受験をして、国立の小中一貫校である静岡大学の附属小学校に進学しました。 「両親は私が小学生のときにお絵描き・英会話・ピアノ・水泳・剣道など、さまざまな習い事をさせてくれました。そのおかげで小学生のころには、多くの経験ができました」
小学校時代の成績は5段階評価で全科目3程度。勉強はほどほどに友達と毎日ゲームをしたりして過ごしていました。やや人見知りなごく普通の小学生だったと当時を振り返るMJさんは、小学校時代のある出来事がきっかけで医者を目指し始めます。 「小学2年生のときに卵を食べたら、食中毒になってしまったんです。2週間くらい入院していたのですが、そのときの担当医がとても優しい方で、私の中で記憶に残りました。また、将来は医者になりたいと考える同級生が多かったこともあり、漠然と医者に憧れを抱くようになりました」