地方からベストセラー本を連発するライツ社 「世の中を揺り動かす本だけを作る」徹底的なこだわり
「独立したのは自分たちが生きるためでした。僕も髙野も失敗したら、家族全員が食えなくなる。だからこそ一冊一冊に集中して、絶対に売れる本にする。他の出版社にない自分たちの『強み』があるとすれば、その覚悟です」(大塚) ライツ社は全書籍をベストセラーにすることを念頭に置いた。それには編集と営業が車の両輪となりバランス良く走れるかどうかがカギとなる。髙野と大塚が社長となり、2人が対等に決裁権を持てるようにした。そのうえで、それぞれが自分の業務に専念する。 本づくりにおいて、大塚は細部まで編集にこだわる。たとえば書評家・三宅香帆の『人生を狂わす名著50』を作ったときのこと。三宅が書いたまえがきに「私にとって、読書は、戦いです」という文章を見つけた大塚は、「すべての本に『愛したいvs.愛されたい』といった対立のキャッチフレーズをつけましょう」と提案。さらに50冊それぞれに次にすすめる本3冊の紹介文をつけることも求め、合計200冊の本を同書で紹介した。 ■写真集の製本にもこだわり 一冊ずつ職人が仕上げる 「『良い本を作るにはここまでやるんだ』と、大塚さんにデビュー作で教えてもらいました。その後、いろんな編集者と仕事をするようになって、大塚さんほど徹底してこだわる人は珍しいことがわかりました」と三宅は言う。7年前に刊行された同書は、最近になって最大の増刷がかかり、2万部を超えた。 また、18年にヨシダナギの写真集『HEROES』を作ったときには、ヨシダの写真の美しさを印刷で表現するため、社運をかけた融資を元手に国宝などの美術印刷で知られる京都のサンエムカラーという会社に印刷を頼んだ。写真集を開いたときに真ん中で折り目が出ないよう職人が一冊ずつ手で仕上げるというこだわりだ。同書のデザインを担当したデザイナーの北原和規(43)は大塚をこう評する。 「世の中に対して斜めに構えず、自分が感動したことを素直に他の人に伝える。そういう姿勢が大塚の本作りにも共通していると思います」 創業して1年はヒット作に恵まれず、地元の銀行などから借りた4千万円の資金が1千万円程に減り「冷や汗をかいて起きた夜もあった」という。だが三宅やヨシダの本の成功によって、「誰も読んだことがない、しかし完成した本を見ればみんな『これが読みたかった』と感じる本を作る」「過去に出た本もずっと大切に売り続ける」という方針が定まり、ライツ社の躍進が始まった。4年前にフレーベル館から転職してきた編集の感応嘉奈子(46)が、ライツ社で働くなかで一番感じるのは「圧倒的なスピードで仕事が進むこと」だ。