地方からベストセラー本を連発するライツ社 「世の中を揺り動かす本だけを作る」徹底的なこだわり
勉強とサッカーに打ち込んだ中学時代を経て、県立明石南高校へ進学した大塚は、3年生のときに忘れられない経験をした。 「好きになった同級生の女子が、家族である宗教の熱心な信者だったんです。彼女のことを理解したくて図書館でその宗教について調べ、自分も集会に参加しました。でも結局、同じ宗教を信じる人でないと付き合えないと言われて……。その経験で自分の無力さとともに、『世の中のことについて何も知らない』と感じたんです」 社会のこと、人間のことを深く知りたい。そう考えた大塚は、指定校推薦枠があった関西大学の社会学部で心理学を学ぶことにした。 だが、授業は面白くなかった。目を向けたのは海外だった。ベトナム戦争を取材していたジャーナリストの講義をとり、現地でのスタディツアーに参加すると、枯れ葉剤の影響で障害を持って生まれた人や地雷で手足を失った人の姿に衝撃を受けた。その後、世界の広さを体感するためにバックパックを背負い、トルコ、ヨーロッパ、インド、ネパールなどを一人で旅した。 「そんなときに大学の先輩から『いくら旅をしても、得たものを他の人に伝えないと、意味がなくないか?』と言われたんです」 大塚は旅の仲間たちに声をかけ、自分たちが旅の中で出会った世界の子どもたちの写真展を開催、2日間で関大生を中心に数百名の来客があった。伝えること、たくさんの人に思いが届くことを実感した。 写真展のきっかけをくれた先輩はその後大塚に、『1歳から100歳の夢』という京都のいろは出版が出した本を貸してくれた。1歳から100歳までの無名の一般の人々が、それぞれの「夢」を写真とともに語るその本を読んでいるうちに、感動して涙が止まらなくなった。「この本を出した会社で働きたい」。いろは出版に応募した大塚は、3千人ものエントリーの中から内定を得て、08年から編集者の道を歩み始めた。 ライツ社で営業責任者を務める髙野は、1983年、福井市に生まれた。 「明るい元気な子どもでした。ただすごく忘れ物が多くて。20歳になったときに両親から初めて『昔ADHDって診断されてね……』とその事実を告げられて自分でも納得したのですが、ランドセルを学校に忘れて帰宅するようなタイプでした。本は大好きで、レ・ミゼラブルを読んで感動して泣いたことを覚えてます」 髙野の人生に大きなインパクトを与えた一冊が、中学生のときに読んだ『ソフィーの世界』だ。 「自分は小さな頃から『宇宙が始まる前には何があったんだろう』とか『この世界で本当に意識があるのは自分だけで、他の人は全部ロボットかもしれない』みたいなことを考えていました。そんなときにソフィーの世界を読んで『2千年以上前から自分と同じことを考えている人たちがいたんだ!』とびっくりしました」 成績は良く、地元中学から福井県有数の進学校である県立高志高校に進んだ。だが入学すると全員勉強ができる生徒ばかり。マージャンを覚えたことで成績が急降下した髙野が、唯一高校で面白さを感じたのが「倫理」の授業だった。プラトンやアリストテレスなどギリシャの哲学者たちが、人の幸せやあるべき社会について思索を深めていることに魅了された。自分も哲学者になりたいと考えた髙野は関西大学の文学部哲学科に進学する。 「でも結局、哲学者になることはできませんでした。神戸大の大学院に進んだんですが、周りがものすごく優秀で、自分は努力できなかったんです。4年間ずるずると大学院に在籍しているうちに、彼女にも振られました」