米軍を渡り歩いた日本男児・サイトウ曹長の冒険譚「若い頃に『沈黙の艦隊』を読んで、いつか海に出たいと思った」
「そうしたら自分の成績が良くて、『あんたメディック(衛生)に行くか、原子力関係の仕事に行くか、航空管制官になるかだったらどれがいい?』と聞かれて。その中で潜水艦に乗れる可能性がまだあるメディックを選びました。 それですぐに米シカゴに飛ばされ、教育隊を経てグレートレイクという街にある術科学校に行き、まずはEMT(救急救命士)の資格を取りました」 サイトウ青年はそこでも優秀な成績を修める。 「卒業後の勤務地は成績順に早い者勝ちで希望できたんです。自分は日本の横須賀病院で勤務したかったんですが、そのときは席に空きがなく、第2志望の山口県にある岩国航空基地の岩国診療所勤務になりました。実は岩国のことは何も知らなくて、広島県にあると思っていました(笑)」 岩国航空基地には米海軍、米海兵隊、海上自衛隊が同居しており、第5空母航空団の戦闘機と、海兵隊の戦闘機とヘリがある。 「診療所には、医務官はもちろん歯医者さんもいたし、航空身体検査をするスタッフや看護師もいっぱいいました。 ただ、診療所なのでベッドがなくて、入院が必要な場合は岩国病院ってところに米海軍用救急車でサイレン鳴らして搬送していました。 海自の本部が近くにあったので、そこの連中と親しくなり、よくキャバクラに一緒に行きましたよ。時間があるときは広島の呉(くれ)まで行って、米陸軍のバーに行ったりね」 ■海軍から海兵隊へ運命の転属 岩国診療所での充実した日々は2年目に激変する。2004年前後、イラク戦争が激しさを増し、現場に衛生兵が必要とされた。サイトウ上等水兵は優秀な成績から選抜され、海兵隊転属の命令が出た。 「米サンディエゴに行き、海兵隊の教育隊と、メディックの実戦的な内容を学ぶコース、FMSS(Field Medical Service Schools)に入りました」 メディックとはいえ訓練は多岐にわたった。座学はもちろん、山や砂漠での移動訓練、そして射撃訓練まで行なう。 海兵隊の訓練といえば教官が鬼のように怖いことで有名だが? 「最初に射撃場へ行ったときは超怖かったですね。とある女性の新人隊員が、説明をちゃんと聞いていなかったのか、弾が入っているM16ライフルを構えたまま後ろに振り向いたんです。 そしたら監督していた教官が間髪を入れずに、その人の顔面に蹴りを入れてね。もう鼻血がバーッと出て一面血の海。自分は下向いたまま、『やべえ。ミスったら殺される......』って(笑)。 でも正直、どれだけ威圧的でも、教官に殺されることはないとわかっていたので死の危険を感じることはなかったですね」