米軍を渡り歩いた日本男児・サイトウ曹長の冒険譚「若い頃に『沈黙の艦隊』を読んで、いつか海に出たいと思った」
そして彼らと共に、厳しい訓練を乗り越えていく。 「サボテンの実って食べたことがありますか? 頭の上にピンク色の実をつけるサボテンがあって、洋ナシみたいな味なんです。それを仲間と食べるのが砂漠での地図判読訓練の唯一の楽しみでした」 もちろんメディックとして実戦的な訓練も行なう。 「注射や点滴の練習は人同士でできるけど、止血とかはできないので、そういうときは豚が使われました。 教官がショットガンで豚を撃って、メディックの学生がその撃たれた傷の止血をするんです。ショットガンで撃たれた豚は痛みに暴れ回るので、四肢を押さえる係と、止血剤を振りかける係に分かれます。 当時は、止血用の白いパウダー(サルファ剤)を傷口に振りかけて、固めて止血していました。ただ、固まる際に熱くなって逆にヤケドしてしまい、ガーゼをとるときに皮膚も剥がれてしまうという問題点があったので、イラク戦争のときには『使うな』とお達しが出ました。 正しく止血できて豚が死なずにすんでも、教官が頭をポンと撃って殺されるんですけどね......。"戦死した豚"たちは、穴とか掘って、ボンボンと捨てて、埋めて終わりです」 そして、射撃訓練。射撃の腕が悪いと卒業はさせてもらえない。 「距離別に射撃するテストがあって、一定数的中させないと卒業できないんです。自分は最初の頃、射撃がダメで......。練習を重ねて、最低ラインギリギリで合格しました」 そうして3ヵ月の訓練を終え、サイトウ伍長は卒業。そんな彼に配備先が告げられる。 「サンディエゴのミラマー基地に行きなさい」 映画『トップガン』の聖地だ。今そこに、海軍戦闘機のパイロットを鍛えるトップガンの部隊はいない。いるのは米海兵隊飛行隊だ。 「海兵隊に入った時点で、潜水艦にもう乗れないのはわかっていました。それなら、航空に行きたいと思ったんです。成績は良かったので『飛行機だったら、戦闘機でもなんでも乗せてくれ』と言ったら、ミラマー配備となりました」 ミラマー米海兵隊航空基地には、第1海兵遠征軍の第3海兵航空団がいる。サイトウ伍長は、そこのヘリ部隊に配属された。 第2回「イラク戦争編」に続く――。 取材・文/小峯隆生 撮影/柿谷哲也(インタビュー)