猛暑日ゼロ「涼しい街」で脚光浴びる勝浦市 かつては大型リゾートが栄えるも“廃墟化”した悲しい過去も
行川アイランド
また、行川アイランドを長年運営していたのは日本冶金工業の子会社、冶金興産だった。もともと千葉県出身の日本冶金工業の社長・森暁の肝煎りで開園にこぎつけた施設であるが、レジャー専業の企業ではないだけにノウハウも積めずに赤字が蓄積。 結局、2001年8月31日をもって閉園し、勝浦市は観光の目玉を失う。行川アイランドの跡地は荒れるにまかせ、かつては特急も停まった行川アイランド駅は山間部にあるだけの秘境駅となってしまい、千葉県内の駅でも最低ランクの乗降客である。 廃墟化した行川アイランドの跡地は、一部の廃墟マニアが訪れる程度であったが、リゾートホテルを中心としたパークを作る「勝浦シーサイドパークリゾート」計画を勝浦市が策定していた。 しかし、2018年に事業概要が決まるも、コロナの影響もあって進展はなく宙に浮いている。民間有志の人口戦略会議は同市を「消滅可能性あり」と指摘しており、先行きは楽観できない。 勝浦市のここまでの戦後史は、再生に悩む典型的な地方の観光地のそれであったが、夏の猛暑が追い風になりつつある。房総エリアの自治体は東京からの近さを強みに、こぞって移住者を集めようとしている。その中で勝浦市の涼しさは確実にアピール材料になりそうだ。 まちづくりも旧来の大型リゾート依存にとどまらない、過ごしやすい東京の“奥座敷”になりうる施策を期待したい。
デイリー新潮編集部
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