津波に原発事故「生かされた命」 難関高生徒が福島で出会った人々の思い
放射能を測り続ければ自分の判断で食べられる
もう一人、「生かされた命」との思いを経た女性の話を聞きました。JR小高駅前(南相馬市小高区)の老舗「双葉屋旅館」の女将、小林友子さんです。
「ここは海から4キロ。まさか近くまで人が流され、旅館まで津波がくるとは思っていなかった」といいます。地震と津波で「灰色になった」小高と、一時避難で降り立った、普段通りの生活が続く名古屋のあまりの格差に、衝撃を受けたといいます。 「自分は生かされている。だったら小高で頑張りたいな」 旅館は70年以上続く老舗。改装し、避難指示解除に先立つ昨年1月から営業再開しました。住民や旅行者の交流拠点にもなっています。 震災後、地元・小高の「豊かさ」を実感しました。 「魚屋が震災直前でも6軒あり、いろんな種類の魚がとれました。山菜も豊富で、野菜も甘みがありました」 状況は一変しました。また、どの程度放射能で汚染されているか、情報がありませんでした。「自分たちで測ろう」との思いが募り、ボランティアで地元の放射能測定を続けています。 「開業時、大変だったことは」。生徒の質問には「働く人がいないこと。5年ぶりに働いた人は、高齢で体を痛めてしまいました」と答えました。風評被害も懸念されますが、「米ぬかには放射能が残るが白米にすると減るとか、測ってわかりました。測り続ければ、自分の判断で食べられるし、ここで暮らしていけます」と話しました。 「福島のいま」を多くの方々から聞き、高校生は矢継ぎ早に質問を繰り返しました。ツアー後半では、逆に「質問を受ける」ことになります。「自分ならどう考えるか」との問いかけです。 ※福島学習ツアー(下)に続く (ヤフー社会貢献推進室・森禎行)