津波に原発事故「生かされた命」 難関高生徒が福島で出会った人々の思い
東電の地元トップ「原発再稼働は必要」
原発周辺の見学に先立ち、東京電力の地元トップ2名が説明しました。石崎芳行・福島復興本社代表と増田尚宏・福島第一廃炉推進カンパニープレジデントです。場所は、福島第一原発の敷地内ではなく、約15キロ南にある、廃炉研究の拠点「楢葉遠隔技術開発センター」(楢葉町。主体は日本原子力研究開発機構)で行われました。
石崎代表は、復興本社の活動について「廃炉以外の、賠償、除染、復興推進活動、さらにはまちづくり」と説明。「原発事故の最大の罪は、コミュニティを破壊したこと。コミュニティ形成にも責任を果たさないといけない」と生徒に伝えました。 廃炉作業を統括する増田氏は「現場では毎日6000人が働いています。以前は全面マスクで会話も難しかったが、いまは安定した作業ができるようになりました」と説明しました。さらに「廃炉はこれから世界中で行われ、すぐ第一人者になれる。その魅力を感じてほしい」と「将来の優秀な科学者」獲得への思いをにじませていました。 高校生が質問します。「原発事故への真摯な態度は伝わってきました。一方で、原子力の再稼働についてはどう思いますか」。 石崎代表は「エネルギー資源の乏しい日本では、原発は当面必要で、基準をクリアしたものは動かすべきです。ただ、東京電力が原発を扱う資格があるかどうか問われています」と答えました。また第一原発と同様、あわや爆発事故の危機を第二原発で経験した増田氏も「原子力は必要」と断言しました。
事故直後に学習会再開、思わぬ批判の電話
浪江町を見学した生徒は、地元で暮らす人たちの生の声も聞きました。 その北の南相馬市原町区で学習塾を経営していた番場さち子さんです。子どもや若いママを支える「ベテランママの会」も設立しています。 番場さんの震災当時の証言は生々しいものでした。
「この写真は、震災1週間前。塾の卒業生みんなで集まって撮りました。この中に、津波で犠牲になった人がいます」 「父の実家は5人が津波に流され、2人の親戚がいまも行方不明です」 「遺体安置所に女一人で行きました。みんな『あーっ』と叫んだような顔で絶命した遺体ばかりでした。私も避難時、右折せずまっすぐ車で走っていたら、津波で命はなかったかもしれない。生かされた命です」 震災前114人いた塾の生徒はゼロに。事故直後の4月上旬はこの地域の学校が臨時休校になりました。子どものことが気になる番場さんは、無料の学習会を始めました。 「最初に受けた電話は忘れもしません。『子どもを避難させないで受け入れるとは何事か』。おしかりの電話でした」 それでも常時30~40人の生徒に勉強会を続けました。加えて「ママの会」では、市民向けの放射能勉強会を開き続けました。また医師の協力を得て「よくわかる放射線教室」という小冊子を作り、好評を博しました。「望みは、全国で放射線教育をすること」といいます。 生徒が「福島出身者が差別を受けることがある。自分たち含めどうしたらいいか」と質問しました。番場さんは「正しい知識で、見聞きしたことを周りに伝えることが大事」と答えました。