1993年11月、日本でインターネット商用利用が解禁[第1部 - 第6話]
「日本のアニメ」をインターネットで全世界に配信しよう
佐藤:そうした中、旭通信社でもマルチメディア化に取り組んでいこうという全社横断プロジェクトが立ち上がり、国際部からは僕が参加することになりました。 これまで、通常の電話線を使ったデジタル回線はISDN(Integrated Services Digital Network)と呼ばれていましたが、従来のISDNでは難しかった動画などの伝送が可能な次世代規格「Broadband ISDN」が登場しました。これを使って『ドラえもん』を世界に配信する、といったアイデアが出たのですが、インターネットが海外で急速に広がっているにもかかわらず、社内ではなかなか取り上げられませんでした。結局、僕も含めて詳しい人達で企画を練って、プロジェクトの責任者に提案をすることになりました。 前述の伊藤穰一のコラムの影響を受け、「インターネットとは、ショールームであり、図書館であり、放送局である”Detabase Broadcast”だ!※」とプレゼンをしました。「アニメに強みを持つ旭通信社として、インターネットでもアニメを発信していくべきだ」とプッシュしたところ、あっさりと企画が通ってしまいました。後になって「これは”Broad”castじゃないな」と気づくのですが……。「で、これはいくらぐらい儲かるの?」と聞かれて「月々50万円くらいですかね?」なんて答えていました(苦笑)。 ※注:”Database Broadcast”は企画立案者が作った造語 杓谷:今でいうNetflixのようなサービスを構想していたわけですね。当時は”Broad”というほどインターネット人口が多くなかったと思うので、どちらかというと”On-Demand”の方が適切だったかもしれませんね。 佐藤:結局、この全社横断プロジェクトはシステム部の主導となったのですが、システム部は最初から少し否定的で、「こんなのビジネスにならないよ」といった具合でした。彼らがかける労力に対し、成果が見合わないわけですから、仕方ありません。 それでも、第4話で登場した氏家さんにホームページを作ってもらったり、コミケで撮った写真をホームページにアップロードしたりと、精力的に取り組んでいました。氏家さんは元々は映像作家でしたが、これをきっかけにインターネット関連の仕事が増えていきました。後に僕がInfoseekに移った時も、クリエイティブスタッフとして彼と契約を結ぶことになります。