「ユニホームは戦闘服だ」野球から得たのは我慢と継続・黒田博樹さん プロ野球のレジェンド「名球会」連続インタビュー(37)
プロ野球のレジェンドに現役時代や、その後の活動を語ってもらう連続インタビュー「名球会よもやま話」。第37回は黒田博樹さんです。低迷期の広島で奮闘。米大リーグでは名門2チームの先発マウンドを任され、日本復帰で古巣を25年ぶりのリーグ優勝に導きました。腕を振り続けた20年。それを支えた力の源を明かしてくれました。(共同通信=中西利夫) メジャーで「クレイジー!」と言われた昔気質のトレーニング方法、「大魔神」佐々木主浩さん プロ野球のレジェンド「名球会」連続インタビュー
▽何歳であろうがローテーションで回るのがポリシー いろいろ考えながら決断し、日本に帰ってきた時の公式戦初登板(2015年3月29日のヤクルト戦)。打たれたり変なピッチングだったりしたら、結構苦しいシーズンになっていたかも。そういった意味で、あのゲームは大きかったのかなと思う(7回5安打無失点で勝利投手に)。勝ててほっとしたというのが一番。年齢がどんどんいって上り坂じゃないが、周りからはメジャーリーグから帰ってきたピッチャーという見方をされる。みんなが思っているほど、自分の体と技術が一致しない怖さがあった。毎年毎年、コンディションが変わってくる。体調が変わると技術的な部分はどうしても多少変わってくるので。40歳でシーズンを迎えるわけで、それも環境が変わった日本で迎えるというのは怖かった。しっかりと戦力として戻らないと意味がないと思っていた。当然周りもそう見ている。年齢的なことよりも、今この体で結果を残せるかどうかを考える方が強かった。
日本に帰って、たくさんの人から応援してもらう中で、やっぱりファンの人たち、そしてチームメートをがっかりさせたくなかった。こけてしまうと自分のやってきたことがゼロになってしまうという怖さもあった。相当な覚悟だった。先発ピッチャーである以上は何歳であろうが、ローテーションで回るのが僕のポリシー。規定投球回数を投げるのが最低限だと思っていた。年間何試合と限定されれば、できたかもしれないけれど、僕の中では、それはなかったという感じ。 ▽変化を怖がると、いつまでたっても成長できない ヤンキースに移って、ドジャースタジアムでの交流戦。相手ピッチャーのクレイトン・カーショーと投げ合えた(13年7月31日)。ドジャースから出るのは自分の選択肢になかったが、出ざるを得なかった。ヤンキースでもある程度評価されるようになったところで、何の巡り合わせか分からないがカーショーと投げ合ったことは、とても印象に残っている。0―0で七回ぐらいまでいって、お互いに勝敗は付かなかったけど(黒田さんは7回5安打無失点)、振り返ってみれば何かすごく気持ちのいい投手戦だった。でも、あまり思い出さないようにした。そこは頭を切り替えた。僕自身は過去を振り返らないというか、考えないようにしていた。1年が終われば、次のシーズンのことや体の状態を考えながら、もう1年できるかどうか考えて勝負するというスタンスだった。そういうメンタルだからこそ、メジャーでもやってこられたのかな。