「ユニホームは戦闘服だ」野球から得たのは我慢と継続・黒田博樹さん プロ野球のレジェンド「名球会」連続インタビュー(37)
ツーシームの習得は、そこで生き残るための手段。自分のスタイルを押し通して勝てれば、それに越したことはないが、メジャーぐらいになると、なかなか勝てない。結果を出すには、どうすればいいかを考えた時に、そういうスタイルに行き着いた。変える怖さは当然ある。マイナスに作用することもある。ただ、変化を怖がると、いつまでたっても成長できない。進化できない。チャレンジするのも相当な覚悟がないと、メジャーではやっていけなかった。 大リーグ挑戦を考えた理由? ピッチャーとして、もう一つ上のステージがメジャーなら、そこへ行きたいなと。松坂大輔、井川慶とか周りのエースと呼ばれるピッチャーがメジャーを目指す姿を見て、やっぱり自分もそこで勝負したいなという気持ちが強くなっていったのはあるかもしれない。憧れは一切なかった。憧れという感覚で行こうとは思わなかった。世界最高峰のところで、もう一度勝負をしたいという気持ちの方が強かった。
▽相手野手とシーズン中もオフもしゃべりたくなかった (ドジャースでは1年目が9勝、2年目が8勝と2桁に届かず)ピッチャーは勝ち負けがつくポジションだし、勝つに越したことはない。だが、日本と違ってアメリカは評価する項目がたくさんあった。勝ち星だけではない評価。打線の援護がなかったとしても頑張れた部分かも。苦労はいっぱいありすぎて分からない。本当に日本と全く違う環境だった。簡単に言えば試合数が違う。向こうは平気で20何連戦。あるいは10連戦が終わったら、また10連戦とかが普通。移動も含めて、日本とは違った環境で試合をこなしていくのは大変だった。細かい部分での大変さもあった。食事も日本にいる時は考えていたけど、アメリカは試合が終わって日本食を食べられるところはほとんどないので、そこは切り捨てて、逆に何か食べられればいい、ぐらい鈍感になった。 メンタル的にマウンドに上がれば強くならないといけない。だから、相手チームの野手とはシーズン中もオフもしゃべりたくない。しゃべってしまうと自分の弱さが出てしまうというのがあった。自分の性格をしっかり分析し、そうしないと結果は出ないだろうなと思っていた。野手の人とはあいさつ程度、あとは談笑することも食事に行くこともなかった。僕は試合中に笑ったりすると、そこで気持ちが抜けてしまうので、取りあえず降板するまでは常に戦う精神を持ち続けた。