痩せているより小太り、白塗りがイマイチだと見苦しい、どんな悪条件があってもとにかく美しい髪…紫式部や清少納言が書き記した<平安美人の条件>とは?
大河ドラマ『光る君へ』で注目が集まる平安時代。ファッションデザイナーで服飾文化に詳しい高島克子さん(高は”はしごだか”)は「平安時代こそ、日本史上もっとも華麗なファッション文化が花開いた時期」だと指摘します。十二単(じゅうにひとえ) になった理由とは?なぜ床に引きずるほど長い袴を履いた?今回、平安時代の装いとその魅力を多角的に解説したその著書『イラストでみる 平安ファッションの世界』より紹介します。 【書影】〈光る君へ〉で注目の平安時代。ファッションや男性のメイクなど、現代に通じるに流行があった!ファッションデザイナーが読み解く『イラストで見る 平安ファッションの世界』 * * * * * * * ◆身長を超える髪の毛の手入れの大変さ 平安時代の美人の第一条件が「豊かで長い黒髪」である。 紫式部『源氏物語』の「末摘花(すえつむはな)」に、背が高いとか顔が長いとか痩せすぎた身体等と散々形容した後に、「髪の美しくて長いことだけは美人の資格がある、座った後ろに黒々と一尺ほども余っている」(『与謝野晶子の源氏物語 上 光源氏の栄華』)と述べられており、豊かな長い髪であることがはっきりと美人の条件といっているのだ。 現代でも髪の長い女性が好きだという男性は多いと聞くが、平安時代は髪こそが女性の魅力だったのかもしれない。 貴族女性は男性に顔を見せることはせず、ほぼ座った状態で御簾(みす)越しか後ろ姿しか見せなかったのだから、理解はできる。 また、髪が長いだけでなく「美しくて」という条件が先にあることで、髪の手入れがどれだけ大事であったかが想像できる。 身長よりまだ30センチほど長い髪の長さとなると1メートル80センチくらいだろう。 その髪を艶(つや)やかにキープするというのは、ブラシもなく柘植の櫛(つげのくし)だけで髪をとかしていた時代、大変な努力を要したと思われる。
◆平安時代「美髪」のヘアケア事情 貴族女性の場合、侍女たちがしていたのだろうが、梳(と)かす方もされる方もきっと忍耐が必要だったに違いない。では、彼女たちはその長い髪の手入れ、洗髪はどうしていたのだろうか。 現代と違い、髪に潤(うるお)いや艶を与えるシャンプー等なく、「ゆする(米のとぎ汁)」や「灰汁(あく/灰を溶かした水の上澄み)」を使って洗っていたようだ。 しかし洗髪はそう頻繁(ひんぱん)にはできなかったようである。様々な説(3日に1回、5日に1回など)があるが、ドライヤー等はなかった時代である。 洗髪というよりも髪を乾かすのにきっと恐ろしく時間がかかったと推測され、月に1~2回という説が妥当ではないかと思う。 ただし、椿油(つばきあぶら)は使われていたようである。長く豊かな髪を保ち、美人の条件を満たす努力は大変であったに違いない。 また、20キロくらいあったとされる唐衣裳装束を身につけ、さらに身丈よりも長い髪を伸ばすとなると、如何ほどの重さになったのだろうか。想像すると、現代人に生まれて良かったと思う人も少なくないだろう。
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