何が明暗を分けたのか…ヤクルトの“神がかり“サヨナラ劇と裏目に出た阪神の矢野監督の”直接ゲキ”
フルスイングしたソトの伸びたバットにジャストミート。打球は逆転の2ランとなってバックスクリーンに消えていった。 「ホームランのことは考えずにつなぐ気持ちで打席に入った」 ソトにとって9月2日以来の21号。そろそろ目覚める頃合いでもあった。 すべてが裏目に出ての采配ミスである。 ヤクルトとのマッチレースの末、優勝を逃した1992年の阪神は、残り4試合の局面になった10月7日のヤクルト戦(神宮)で故・中村勝広監督が、先発ローテーの湯船敏郎をストッパー起用する禁じ手を使って敗れ、最後に5連敗して2位に終わった。あの時も”特別なこと”をして裏目に出た。矢野監督の裏目に出た特別な行動が、どこか重なって見える。 その数分後に神宮では神がかり的なドラマが起きていた。6回までノーノーのピッチングを続けていた菅野になんらかのアクシデントが起きて不可解な降板となったが、その後も、デラロサ、畠につながれ、ヤクルト打線は、8回までスコアボードにHランプを一度も点灯させることができずにいた。 スコアは0-0。9回、巨人の“守護神“ビエイラに対して代打の切り札の川端を先頭打者として送ったが、三振。前例のない“ノーノードロー“までアウトは、あと2つとなっていた。 だが、「塁に出ようと熱い気持ちで打席に入った」という塩見が三遊間を破るヒットで出塁して不名誉な記録を阻止した。しかも、続く青木の打席で、牽制球を何球も投げられながらも、その3球目に盗塁を成功させた。 「クイックとかいろいろ加味して成功する確率が高いと思ってスタートを切った。ほんとにうれしかった。今年一番の盗塁だった」 今季21個目。塩見が自画自賛する盗塁だった。 青木は三振に倒れて二死となったが、「緊張していた」という山田が大仕事をやってのける。 「ビエイラは球も速い。スライダーもポンポン決まっていた。打つのは難しいかな」 161キロのインコ―スのストレートにドン詰まり。ボテボテのゴロがショートの前に転がり「終わった」と思ったそうだが、全力疾走した山田を“野球の神様“は見放さなかった。