日本刀鑑賞会で騒いだ職人の血、50歳近くで弟子入り志願し修業5年…「豊後刀」復活に情熱燃やす
整備士の経験を生かし
豊後刀は、独特の青黒い地金が特徴で、美術品というよりも実用品として評価されている。鑑賞用としては格が落ちるが、新名さんは職人として、そんなところに魅了されている。「費用も時間も労力もかかり、利益を考えると誰もやりたがらない。だから自分がやりたい」と言い切る。
刀工も現代では、機械化が進む。新名さんは整備士の経験を生かし、鋼を電動でたたくベルトハンマーなど機械の整備・修理は自分で行う。必要な機械を製造するメーカーの廃業が続く中、知り合いの刀工からも依頼を受ける。
全日本刀匠会(岡山市)によると、高齢化などで、会員数は記録が残るピークとなる1989年の310人から、昨年は168人とほぼ半減。「業界から誰もいなくなる」と危機感を募らせる新名さんは現在、弟子を2人取り、技術の継承にも取り組む。弟子の横溝卓也さん(30)は「師匠は、豊後刀の復活に向けて一切妥協しない。自分も後に続きたい」と力を込める。
現在の刀作りは、多くが島根県で作られた「玉鋼」を使用する。ただ、豊後刀が作られていた時代は、今のように物流も活発ではない。当時、どのように作ったかの記録は残されていないが、新名さんは「地元の砂鉄を古くからの製鉄法で玉鋼にしたはずだ。原点に返ったものを作り上げたい」と強調した。
昨年2月、刀工関係者らと、古代から続く製鉄法「たたら製鉄」に取り組んだ。炉に入れた炭に風を送って約1500度に熱し、地元の大野川の砂鉄約30キロを投入。化学変化で不純物を取り除き、高純度の玉鋼にした。約6時間後に作業を終えると、解体した炉には約6キロの玉鋼が残った。
これまで計約15キロの玉鋼を製造し、豊後刀に必要な量を確保できる見通しが立った。「後世まで生き残る正真正銘の豊後刀を作りたい」。理想とする往時の名刀を目指し、今日も腕をふるう。(池園昌隆)