《ブラジル》記者コラム=魂が洗われる瞬間に立ち会う=天国で先人が微笑む歴史的な日=政府謝罪が実現した意義とは
「ブラジルは沖縄の伝統をリスペクトすべき」
恩赦委員会の最後で三線を引いた4人の一人、ブラジル人のクリスチャン・プロエンサさん(31歳、南麻州カンポ・グランデ在住)は、「我々は民主主義国家に生きており、移民は新しい夢を求めてこの国にやってきた。だが沖縄移民は日本でもブラジルでも苦しんできた。18年間、沖縄県系人と関わる中で、オジーやオバーからそんな話をたくさん聞いた。今回謝罪となったことに幸せを感じる。たくさんの子孫がこの件に関して口を閉ざしてきたし、謝罪のこともまだ知らない。私も映画『オキナワ サントス』で初めて知った。あんなことが2度と起きないようにするには、皆が広く知ることだと思う」と感慨深げに述べた。 彼は2006年からカンポ・グランデ市の沖縄県人会で出入りするようになり、三線を大城繁信さん、島田房文さんらに教わり、野村流古典音楽協会に非日系人として初めて会員に認められ、2022年には沖縄のテレビ局に取材され、同年に沖縄民間大使に就任。翌23年には野村流古典音楽協会で非日系人として初めて教師資格を認められた。 クリスチャンさんは「ボクが三線を習い始めた頃、カンポ・グランデで演奏者の大半は1世で10人以上いた。今は半分ぐらいになってしまった。ボクも三線教師となり、沖縄の伝統を伝える側になった。ブラジルという国は沖縄の記憶や伝統をリスペクトしなければならない。そのためにも、この謝罪はとても大切なこと」と述べた。
「沖縄系以外の県人会でも映画上映を」
沖縄系以外の子孫の参加も多数みられ、その代表として参加したブラジル日本都道府県人会連合会の谷口ジョゼ会長は首都からの帰りのバスで、「我々の先祖に対するスパイ容疑の汚名は80年がかりで晴らされ、いま正義が行われた。全ての日系コミュニティは今回の件を誇りの思っていい」と今回の運動を賞賛した。 さらに「私はあの映画を2回見た。6500人の強制退去者の6割は沖縄県人でも、4割はそれ以外の県人だった。だが他県の会館であの映画が上映されたとは聞かない。もっと多くの県人会で上映されてもいいと思う」と薦めた。 飛行機で来て恩赦委員会に出席した中島リジアさん(62歳、2世)の祖父、塩谷実さんは戦前から印刷所を経営して日本語出版物を発行していた関係で、大戦中に何カ月も警察に拘留された。「おじいさんは大戦中、チラデンテス刑務所に留置されたと、母から聞きました。祖母が子供を連れて何度か見舞いに行っていました。今まではあまりこの件を私の子供に話してきませんでしたが、恩赦委員会が謝罪したことで、これからは子や孫にも話しできるようになった。世界には不穏な空気が漂っています。万が一また戦争になった時、同じことが二度と起きないように、もし日本に何かあってまたブラジルに移住者が来るようになっても、きちんと受け入れができるように、私たちは子孫に伝える義務があると思います」と述べた。 リジアさんは、宮村秀光さんが主催するポ語日本史講座の生徒(4)で、ブラジル日系文学の会員でもある。 一つ気懸りなのでは、アンシェッタ島しかり、終戦直後の勝ち負け抗争の文献を紐解くたびに思うのは「終戦直後の同胞社会は、或る意味、現代にとても似ている」ということだ。社会が二極化して相手方を悪魔化し、フェイクニュースが瞬時に飛び交う風潮がそっくりだ。トランプ銃撃事件は勝ち負けテロを彷彿とさせる。