《ブラジル》記者コラム=魂が洗われる瞬間に立ち会う=天国で先人が微笑む歴史的な日=政府謝罪が実現した意義とは
「実は身近なところに被害者がいてビックリ」
父儀間カメが第1回移民船笠戸丸で渡伯した儀間マリオさん(80歳、2世、サンパウロ州サントアンドレ市在住)は「サントス事件のことは、僕らは『群星』で初めて知った。佐久間ロベルトはボクのゲートボール仲間だった。10年ぐらい一緒にプレイしていたのに、知らなかった。私には彼は語らなかったが、『群星』が出た後、『私もあの時、あそこにいた』と語り始めて、衝撃の体験に驚いた。身近な人が被害者だったと知り、驚くと同時に、深い悲しみに襲われた」としみじみ語った。 「2005年にゲートボールを始めるまで、僕はポルトガル語しかしゃべらなかった。そこで皆がウチナーグチや日本語をしゃべっていたし、いつか沖縄を尋ねたいという夢があったから、一生懸命にウチナーグチを覚え始めた。毎日、そこで使う言葉を一つ、二つ紙に書いて覚え、自宅に持ち帰ってノートにまとめて書き写した。2011年の世界ウチナーンチュ大会の折に念願の沖縄訪問を果たし、親戚を尋ねると、『どうしてそんなにウチナーグチが上手なのか』と驚かれた。沖縄では年寄りしかウチナーグチを使わないと聞き、悲しくなった。その時、沖縄でゲートボール大会にも参加した。他にもアルゼンチン、ボリビア、アメリカ、ペルーからの県系人と一緒にプレーした時、最初僕は英語が分からないから会話に困った。その挙句、ウチナーグチをしゃべったら、全員が分かったので、とても嬉しくなった。国籍は違っても、僕たちはみなウチナーンチュだと確認できた」と嬉しそうに体験談を述べた。
超強力な若者ネットワークが運動を後押し
バスツアー参加者の一人、沖縄系コミュニティやアジア系女性移民やその子孫に関する研究をするサンパウロ大学の文化人類学者、比嘉美和ライスさん(37歳、3世)に、なぜ沖縄県人会が主体となって謝罪請求運動をやったのかと尋ねると、「最初は沖縄系コミュニティの研究をしていたが、範囲を広げようとアジア系LGBT運動や人種差別の活動家を調べ始めたら、なぜか沖縄系子孫ばかりだった。ブラジル社会に訴える社会活動をする素地が、沖縄系には元々ある」と分析した。 「ここ15年ぐらいでそこにネットやSNSの発展で拍車がかかって、若者の中に社会運動に加わる機運が高まっていた。そこにこの謝罪請求が入ってきたから、一気に彼らがそれを拡散した」とみている。今回もグローボTV局女優ブルーナ・アイソ(Bruna Aiiso)さんが1カ月ほど前から県人会へこの件をブラジル社会に広める協力を申し出ていた(3)。 アイソさんがリーダーをするアーチスト仲間64人のネットワークは強力だ。一定の方向性を持つ意見をそれぞれのインスタグラムやティックトックで共有することにより、ブラジル一般社会に対する強力な発信力を持つ。例えばアナ・チヨ(インスタのフォロアー180万人、ティックトック180万人)、アナ・ヒカリ(同110万人、140万人)という具合だ。今回の恩赦委員会の件は、そこが全面的にバックアップした。 実際、恩赦委員会の冒頭の開会式でアレシャンドレ・パジーリャ大統領府渉外室長官は「ブルーナから1カ月半前に『恩赦委員会にぜひ出席を』と電話があり、決断した」と自ら語っていた。それぐらい影響力がある。ブルーナ本人は沖縄系ではないが、同ネットワークには沖縄系もかなり含まれており、これもまた「沖縄ネットワークの延長」ともいえる強力さを示す。